卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

茅野市立東部中学校から学校長推薦で東海大学附属諏訪高等学校理数科に進学した井澤舞香さん。
勉強は予習ペースで進め、高校では1桁台から1位の成績をキープしていました。共通テストは、友人の特訓で驚異的な得点を実現した一方、思わぬミスでペースを崩す波乱がありましたが、最終的に当初の目標だった富山大学に合格しました。

ムラっ気があるという自分の“トリセツ”を把握し、時に奔放に、時に冷静に目の前のことに向き合い続けた井澤さんは、「受験ではいろいろ悟ることがあった」と振り返ります。まつがく茅野校・校舎長の宮原先生と、大変ながらもエピソードが尽きない大学受験生活を語り合いました。

井澤舞香さんのデータ

●出身校/東海大学附属諏訪高等学校理数科 ●将来の夢/税理士、社労士

中3・7月

高校受験を見据えて入塾。当時の志望校は諏訪二葉高校

12月

学校見学を経て志望校を東海大学附属諏訪高校理数科に変更し、学校長推薦で合格

高1

当時の将来の夢は薬剤師。富山大学の薬学部を目標にする

高2

・高校での成績は5位以内で、高2からはほぼ1位をキープする
・将来の夢を税理士や社労士に変え、志望校も千葉大学の法政経学部に変更

高3・春

千葉大学のオープンキャンパスに参加

12月

高校の懇談で千葉大学は厳しいが、評定が高いので信州大学を学校長推薦で受験するのはどうかと打診される

1月

・進路が決まっている友人が得意の世界史を個人特訓してくれる
・共通テストの国語で失敗した影響で英語がいつも通り解けず。世界史は特訓の甲斐あって大幅に得点アップ

2月

・併願の専修大学と武蔵野大学を受験して合格
・信州大学の学校長推薦は不合格
・国立の前期試験で富山大学経済学部を受験

3月

富山大学経済学部に合格

1. 茅野校の“主”だった!?

予習ペースで勉強していた高校時代

宮原

元気そうですね。ひとり暮らしはどうですか?

井澤

私の巣は完璧です! 大学生は最初、生活力なさすぎて親に感謝したり、食べるものなくて痩せたりするとか言うじゃないですか。そういうことが全然なくて、むしろ実家よりも手の込んだものをつくって食べています。

宮原

もともと家のことはよくやっていたの?

井澤

うちの方針で昔から家事はやらされていました。自分で財布の紐を握って生きる体験をしたい気持ちもありました。母にそう話したら「そんなのね、全く問題ないよ。むしろ実家は人数が多い分やることも多いから、ひとりになると楽かもしれないよ」と言われて、その通りでした。生活面は何の苦労もしてないですね。

宮原

すごいね。

井澤

親から勉強しなさいとも塾行きなさいとも言われたことがなくて。塾も自分から言わないと行かせてもらえなかったので。うちの家族は大卒がひとりもいなくて、私は突然変異だったんです。

宮原

舞香さんがまつがくに入ったのは中3の7月でした。当時はまだ僕とは交流がなかったので、舞香さんをよく知る先生から話を聞きました。入塾は高校入試を考えてですか?

井澤

そうです。塾はいくつか見学して、堅苦しい雰囲気よりもアットホームで自由度がある塾がいいなと思っていました。まつがくは体験に行って自分に合っていると感じました。

宮原

志望校は当初、諏訪二葉高校でした。それが学校見学で東海大附属諏訪高校に変わって、決め手はウォシュレットだったという(笑)。

井澤

志望校選びの50~60%はウォシュレットかな。あとは、自宅から徒歩10分圏内という近さと、面接だけの学校長推薦も決め手になりました。それに、私は理系で東海大附属には理数科があったので。近くて、受験勉強しなくてよくて、理系。ウォシュレットあるし。そんな打算的な理由で行きました。

宮原

そういうことだったんだね。学校長推薦の話はいつ頃出てきたんですか。

井澤

夏休みだったかな。先生から学校長推薦があるよと言われてから、ポンポンと決まっちゃったので。お正月前に合格していました。

宮原

中学時代は高校受験のための勉強はほとんどする必要がなくて、高校の学習を先取りでやっていたんだね。

井澤

そうですね。まつがくでatama+を使って、どんどん先に行っていした。数学は半年分ぐらい先取りしてたかな。

変わっていく将来の夢

宮原

僕が舞香さんと接するようになったのは高2の時で、しっかり話をするようになったのは高3ですね。その時にも、私立はウォシュレットがいいですよと言っていたのを覚えています(笑)。舞香さんはすごく明るい子だなという第一印象でした。初対面の時もあっけらかんと話をしてくれて、相手を受け入れる感じがありました。舞香さんをよく知る先生から「すごく明るくて、でもちょっと気分のムラがあります」と聞いていた通り、やる時の集中力はすごいけど、やらない時はもうやりませんという感じだったよね。

井澤

理由も言わずに、「今日は気分じゃないから行きません」と塾に電話するタイプです。

宮原

今日は全然乗ってないなと思うと、来て30分くらいで帰ることもありました。ある意味本当に大人で、自分のトリセツを把握していましたね。大学受験までのまつがくでの勉強は、atama+で数学と英語の先取り学習を進めていました。加えて学校の教材とも併用して、数学は早めに終わらせていました。

井澤

自分としてはあまり先取りという意識はなくて、足りないと思うものをその都度、臨機応変に補填していた感覚です。ほぼ毎日まつがくにいて、お局のように居座っていました。

宮原

主です、主。

井澤

「atama+やろうね」と言われている子がいる中で堂々と学校の教材を開く、みたいな。

宮原

スタディサプリも見ていたね。学習は自分で考えてやっててくれていたので。それにムラっ気があるから、変に圧をかけるとやらなくなるなと思って、ある程度お任せしていました。高校での成績は5位以内で、高2くらいからはほぼ1位をキープしていました。入塾時の将来の夢は薬剤師でした。それで大学は、富山大学の薬学部を目指そうということになって。

井澤

面白いですよね。富山大の薬学部志望からはじまって、将来の夢や志望校が変わっていって、最終的に着地したのが富山大学だったという。

宮原

高1の時、学校の先生に志望校を伝えたら、前例がないし難しいからやめておいたほうがと言われて、憤っていたみたいだね。

井澤

覚えていないです。

宮原

高2の時に、薬剤師の仕事はこれからAIに取って代わられるんじゃないかという話になりました。

井澤

将来性が微妙だなと思うようになりました。それに、同じ6年間なのに医師は年収1000万円で薬剤師は600万というのも……。

宮原

次に税理士や社労士という話が出て。数字を触るのもお金も好きだからね。そこで出てきたのが千葉大学の法政経学部。

井澤

千葉大の法政経学部は名前の通り、法学・経済学・経営学がまとまっていて2年次から振り分けられるようになっていたので、これはいいなと思いました。

宮原

高3の6月にお母さんと一緒にオープンキャンパスに行きました。

井澤

もう1組親子がいて、ふたりの学生が案内してくれました。その時ディズニーランドにも行って、汗をかくほど暑かったのを覚えています。すごく忙しい、いい1日でした

宮原

一般的にはオープンキャンパスに行くとモチベーションが上がるケースが多いのだけど、舞香さんは逆だったんだよね。「なんか……フツーでした」と言っていたのを覚えていますよ。

井澤

文系ということもあって、設備がいいかって言われたら普通だし、だったら千葉まで行かなくても学べるのでは? と思いました。

宮原

今から千葉大に行けるのかという不安も口にしていました。

井澤

死ぬ一歩手前までがんばらないと受からないと思っていました。

2. 得意を伸ばして実践あるのみ

問題を解きまくり、友人からの特訓も

宮原

とはいえ他に志望校があったわけではなかったので、目標は千葉大のままで「受験パック」とスタディサプリをがんばって進めてもらいました。atama+の通常コンテンツはほぼ終わっていて、共通テスト対策のコンテンツをやっていたかな。

井澤

受験パックは大量のプリントをダンボール箱でもらっていました。

宮原

受験科目を2週間で1クールというたてつけになっていたので、量が多かったよね。さらにatama+の類題演習をやって、もう1回繰り返す。

井澤

そんな上手くいきませんでしたよ。

宮原

(笑)。そうは言っても、2周目の時はものすごく点数が上がってたよね。だから、しっかりやってくれてると思って見ていましたよ。

井澤

お金を払っていたので、しっかりやってました。

宮原

お母さんに受験パックを追加したいとお願いしたんだよね。国公立大に行くなら必要だよねと舞香さんと話をして。

井澤

受験パックは共通テスト対策が充実していて、共通テストが取れないと国公立は行けないので。私の家は、なぜ必要なのかをまず説明するところからでしたね。それでも模試の判定はだいたいEで、たまにD。千葉大を目指してがんばっていれば、志望校のランクを下げた時に余裕が生まれるだろうなという思惑がありました。

宮原

共通テストの過去問をやったのは、年末年始かな。

井澤

そうですね。冬になっていたと思います。過去問も解くし、atama+も解くし、学校のプレテストもやるし、もうなんでもいいから数やりたい。過去問は掲載されているのは2,3年分だし、傾向も少し変わってしまうしと思って、重視していませんでした。

宮原

模試は学校でもいろいろやっていたし、まつがくの受験パックもやっていたし、やることはやってくれていました。そして12月に、学校の懇談で「千葉大は厳しいけれど評定は高いから信大の学校長推薦はどうか」という話が出てきました。

井澤

共通テスト利用の推薦ですね。

宮原

信大の推薦入試は共通テストを課すパターンが多いです。これまでの経験で、共通テストでだいたい66%得点できたら行けるかなと。共通テストの直前はどういう心境でしたか?

井澤

焦りしかなくて、追い詰められる気分になることもありました。ひとつ幸運だったのが、上智大学の推薦に合格した友だちが世界史大好きで、その子が直前に特訓してくれたんです。彼女がヤマを張ってくれたところが共通テストで9割がた出たんです。いつもより20点ぐらいプラスになりました。偏差値50いかないくらいだったのに。

 

宮原

世界史は7割取れていたよね。

井澤

共通テスト前の1,2週間は、まつがくにほぼいなかったですね。友だちは5時間、6時間当たり前のようにずっとしゃべって、私が書いて理解する。スパルタなんてかわいいもんじゃなかったです。中国史、ヨーロッパ史とエリアごとに文明がはじまるところから教わって、たまに「ここは横で覚えて」というところをつなげて覚えて。

宮原

世界史は苦手だったよね。

井澤

そもそもちゃんと覚えていなかったんだと思います。その個人レッスンを受けて、私は3年間何をやっていたんだろうと思いました。ほんとにありがたかったです。それがなかったら、富山大にも入れなかったかもしれません。

宮原

「今日は別会場で勉強します」と連絡はちゃんとくれていました。国語も得意ではなかったよね。

井澤

国語については、今更やって何が伸びるんでしょうと思っていました。世界史のほうが確実に点数を伸ばせるという感触がありました。

宮原

舞香さんは長いスランプはなかったけれど、結構がんばった日はその後「2,3日無理です」ということがありました。やるべきことをやっていたから大した影響はありませんでしたが。共通テスト前まではとにかくいろんなパターンの問題をしっかりやって、かなりがんばってくれました。

井澤

とにかく実践でした。

共通テスト本番でまさかのミス

宮原

そして共通テスト本番です。

井澤

苦い思い出です。

宮原

苦手な古典で大問の順番を変えて解いていたら、途中で解答欄のズレに気づいたんですよね。

井澤

気づいた時には終了時間で、確認のしようがないまま回収されていく問題用紙……結局は杞憂だったんですが。

宮原

その影響で次の英語がボロボロになってしまいました。

井澤

初めて頭が真っ白になる経験をしました。1問目から問題が全然頭に入ってこなくて、勘でマークシートを潰していました。試験中なのに「1年浪人かぁ」とボケッとしてしまって。

宮原

英語がいつもより20点下がって、世界史と英語でプラマイゼロ。

井澤

世界史がなかったら、今ごろ東京の私立大に行ってましたね。

 

宮原

そんな大変な状況だったけれど、翌日、自己採点と前期試験について話すために来てくれました。

井澤

「共通テストどうだった?」と言われるのが嫌すぎて、過去類を見ないくらい殺気立っていたと思います。

宮原

そこから1週間は、いったん勉強はお休みにしました。

井澤

メンタルを立て直すのに1,2週間かかったんですよ。勉強よりメンタルの立て直しを優先しないといけない状況でしたね。

宮原

どんな風に立て直したんですか。

井澤

自分に言い聞かせるしかなかったですね。その経験から何かを得たと思わないと立ち直れなかったので、得た経験について考えていました。強いて言えば、人間間違ったことをもう二度としませんなんてことはありえないということを学びました(笑)。人間はそんな完璧な生き物じゃないなと。自分に難癖をつけるようにして立て直していったかな。親にも助けてもらいながら。

宮原

親御さんからはどんな風に助けてもらったんですか?

井澤

母から「もしこれで信州大学に落ちたとしても、むしろ私を落とすようなところに行ってやる必要はない。そんなのは、ツバはいて捨てちまえ!」という趣旨のことを言われました。

宮原

(笑)。その時点ではまだ信大の結果も出ていなかったし、解答欄もどれくらいズレていたか分からない。本人の自己採点は63%だったから、信大は厳しいかもしれない。でも富山大なら、同じようなかたちで昨年合格した生徒が大町校にいたから、じゃあ前期は富山大の経済学部にしようかという話をしました。

3. 波乱を経て最後は「受験できてよかった」

イオンモールの駐車場で見た合格発表

宮原

共通テスト直後のお休みのあとは、数学に注力しました。

井澤

富山大の前期試験は数学だけだったんですよね。だから数学と過去問しかしてなかったです。学校ですすめられた『レジェンド』という問題集をずっと解いていました。iPadのノート機能を使って解いていたんですけど、600ページ分ぐらいやってましたね。

宮原

もともと数学は強かったからね。

井澤

得意を伸ばしました。

宮原

あとは併願の私立だね。

井澤

武蔵野大学と専修大学で、科目は数学・英語・国語でした。対策は過去問を解くくらいで。英語は英検利用枠があったので、英検2級を生かしました。国語は今更どうしようもなかったので特に何もせず。

宮原

私立受験の真っただ中に信大の推薦の結果が出ました。

井澤

私、自分の感情に鈍いところがあって、その場では冷静で、怒りや悲しみが1日遅れてくるんです。その時はあまりにもショックが大きすぎて3日後でした。ただ私大受験もあったし、そんなことも言ってられなくて。

宮原

ごめんね、そこまで落ち込んでることに気づかなくて。そんなに落ち込んでいても、私立の数学はほぼ解けている状態でした。前期試験の手ごたえも「大丈夫」と言っていました。

井澤

これは無理という問題以外は解けたし、3回見直しをしたので。そういえば、受験会場から出る時に目の前の男子が「俺、全部解けた」と口走っていたんですよ。「それは心の中で言えや」と思いました。

宮原

(笑)。ようやく受験が終わりました。合格発表の日は。

井澤

心臓がバクバクしていました。その日はなんでかイオンモールにいたんですよ。家族のひとりと一緒に車の中で「もし落ちてたら何も言わないでね」と言いながら見たら合格していて。「やった~!」とひとしきり喜んで、他の家族とまつがくと学校の先生に連絡して。いろいろ対応して、さぁ遊ぶぞ!

宮原

(笑)。家族でお祝いしたんですか。

井澤

お祝いしてもらうよりも私が何かしなければいけない感覚でした。すごく迷惑かけたし、すごく支えてもらっていたので。応援してくれた親戚にも、お菓子をつくって配り歩いていました。あとは、前期試験が終わってからは家事全般やっていました。お祝いはいとこの小学校入学祝いと合同で、いとこメインでいいんだけど……と思いながら祝ってもらいました。

宮原

ご家族はどんな形で支えてくれたんですか。

井澤

うちはおばあちゃん、お母さんとお父さん、弟、お母さんのきょうだいがひとりの6人で暮らしています。受験期間中はそっとしといてほしいと言っていました。弟からは、共通テストの前日に「お姉ちゃんがんばって」と言われて、ぐっときました。ふだんはそういうことを言わない弟なので。

大学受験は勉強するしかないです

宮原

舞香さんが共通テスト直後にしばらくお休みする時に、「人間そんなにがんばり続けることはできないということを悟りました」というLINEをくれたよね。大変だったとは思うけれど、結果的に上手に自分でコントロールしながらやってくれていたと感じていました。自分を知るのはすごく大事だよね。

井澤

あの時はとてもつらかったけれど、受験できてよかったなという思いが強かったです。戻りたいかと言われたら戻りたくないですけど、ほんといい経験させてもらいました。

宮原

これから大学受験という人に、舞香さんから伝えられることはありますか?

井澤

本当にもう、勉強するしかないです。3年生からどうにかなると思ったら大間違いで、1年生の頃から勉強しないとどうしようもないのが大学受験。受かると思ってた人が、手ごたえがあったと言っていた人が当たり前のように落ちていく世界なので。

宮原

特に今年は大変だったからね。来年はまた受験が変わるから浪人できないと、上のレベルの子が安全策で志望校を下げる傾向もあったし。そんな中で舞香さんはしっかり受かってくれました。「3年生になってからじゃどうにもなんないんだよ」というのは、僕も本当に伝えたいところです。

井澤

あとは……私は、覚えるより理解することが大切だったかな。世界史も人の名前を覚えるんじゃなくて、その人の背景がこうだからこういうことをやったという風に、点と点をつなげるように理解していました。国公立を目指す人は特に覚えることが膨大だけど、暗記ゲーでいける世界じゃないから、コツコツやるしかない。あとは、勉強し続けることが大変なんじゃなくて、メンタルを維持することが大変ということも分かりました。国公立組はいちばん最後まで残るから、他の人は進路が決まって春休みなのに私だけ必死に勉強しているという状況になります。私立受験も並行してやるから、受かった落ちたで起伏があるし。メンタルを維持することが肝だと思いますね。

宮原

たしかに、何かを継続するとか、習慣を習慣としてこなしていくのは、メンタルが整っていないと難しくなりますよね。

井澤

何かあった時にガラッと崩れるのがいちばんよくないから、80%でいいから常にやる。勉強は自分のスタイルを見つけてやってくしかない。もうひとつ学んだのは、友だちの大切さですね。受験生は先生や親の応援よりも、同じ泥沼に生きる同志の言葉のほうが染みることが分かりました。励まされるより傷を舐め合うほうが力になるというか。

宮原

実際にお友だちとそういうやり取りがあったんですか。

井澤

結構ありました。高校は違うけれど小中同じだった仲のいい子とずっと一緒に勉強していて、その子も国立を目指していたので最後の最後まで一緒に戦っていました。もう無理、やばいと言い合いながら。

宮原

本当にがんばりました。富山での生活は、おいしいお寿司屋さんも、素敵なスタバも教えたから、楽しめるんじゃないかな。

井澤

お寿司、おいしかったです! スタバにも行きましたよ。ネットで「世界一美しいスタバ」と検索すると出てくるお店なんですよね。

宮原

僕、仕事で3か月ぐらい富山に住んでいたことがあって、いろいろ縁があるんですよ。

井澤

私も、薬学部志望からはじまって縁ができました。

宮原

これからもがんばってください。帰ってきたら遊びに来てくださいね。

 

(取材・文/くりもときょうこ)