長野市にある東進衛星予備校長野運動公園校は2020年に開校しました。
その1期生として受験を乗り越えた原山葵さん(須坂高校卒)と校舎長の鶴吉雄一郎先生に、
原山さんの受験期を振り返ってもらいました。
原山さんは塾や家庭教師についた経験がありませんでした。
大学受験を前にし、思うように勉強ができず、点数が伸びないことを悩んで来てくれました。
「初対面の時は自分に自信がなさそうだった」と鶴吉さんが述懐する原山さんは、最終的に3つの合格通知を手にします。
大学受験を通し、原山さんはどのように変わっていったのでしょうか。
原山さんのタイムライン
2020年7月 |
最初の三者面談で入塾を決める |
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10月下旬模試 |
10月の模試まで成績が順調に上がり、好成績を出す |
11月頃 |
友人やクラスメイトが私立大学の指定校推薦を決めていった |
12月中旬模試 |
成績を大幅に落とす |
共通テスト直前 |
三者面談で、プランA(東北大学)、プランB(静岡大学)、プランC(近畿大学)と方針を立て共通テスト本番へ |
共通テスト |
自己ベスト(入学後最初の模試〈8月〉から230点アップ)を叩き出す |
翌日 |
即面談を行い、国立大学の前期試験は第2志望の静岡大学に決定。併願の私立大学は近畿大学一本にして共通テスト利用入試と一般入試で受験 |
近畿大一般入試 |
当日の試験会場で不運に見舞われ、試験に集中できずに終わってしまった。結果、一般入試は不合格(共通テスト利用は合格) |
国立大前期試験 |
静岡大学前期試験当日、高熱でもうろうとした状態で受験(不合格。合格最下位から9番目と健闘) |
中期試験、後期試験 |
両大学とも合格。進学先を富山大学に決定 |
入塾前から12月の模試まで
入塾は高3の7月
- 鶴吉
入塾にあたって、最初にお母様と一緒に三者面談をしましたね。高3の7月でしたか。
- 原山
はい。高校の吹奏楽部の活動が終わってすぐのタイミングでした。高3になって早々の模試の点数が思わしくなかったことと、進路に悩んでいたこともあって、将来について相談できる先生がいたらうれしいなと思って入塾しました。
ここにしたのは別の教室に通っている幼なじみから「すごくいいよ」と聞いていたからです。
- 鶴吉
原山さんの第一印象は、おどおどして自信がなさそうということでした。それでも「東北大の文学部に行きたい」という希望はありましたね。
- 原山
大学調べをしている時にたまたま東北大のホームページの授業動画を見て、すごく面白そうと思ったのがきっかけでした。その前から文学部に進みたいという思いはありました。鶴吉さんにそういった話をしていたら「学芸員はどうかな?」と言われて、すごくいい仕事だなと考えるようになって。
- 鶴吉
そうでしたっけ? すみません、記憶が曖昧で(笑)。
- 原山
最初はそこまで将来のことは話さなかったんですよね。
- 鶴吉
ただ、原山さんの興味のありかを探ったような記憶はあります。文学部なら、たとえば編集者や学校の先生、司書という道もあります。でも、私から学芸員とは言った気がしないんですよ。
- 原山
いえ、鶴吉さんから言われました(笑)。
- 鶴吉
そうでしたか(笑)。確かなのは、まずは方向性を明確にしないと先に進めないということです。仮の目標でいいんです。勉強が苦しくなった時、自分は何のためにがんばっているのかを思い出すために目標は必要です。そこがふわっとしていると、がんばりがきかないので。原山さんは最初の三者面談で入塾を決められて、親御さんの協力もすごかったですね。
- 原山
そうですね。母も応援してくれていました。毎日学校から家に帰って、平日と土曜日はパートで働いている母が送迎してくれていました。
- 鶴吉
お母様の気合も感じられるんですよね。娘に何とかがんばってほしい、って。原山さんはあまり体力があるほうではなかったんですが、平日は22時まで、土日も来塾して勉強していたので、心配したお母様からストップがかかったこともありましたね。
- 原山
そうですね、受験のストレスが思った以上に大きかったです。それまで、こんなに勉強したことはなかったので……。まわりの人の支えが大きかったです。先生方はもちろん、親、学校の友だち、部活の仲間……仲のいい部活で、「先輩がんばってるね」と後輩も励ましてくれていました。
生徒にも共有する学費の話
- 原山
あと、最初に学費を見る機会があって、「やばい!」と思ったのもあります。「こんなに払ってもらうなら元を取らないと!」とがんばる原動力になりました。
- 鶴吉
学費は原山さんのお母様も「高い!」とおっしゃっていました。高いからこそあえて、私は親御さんだけでなく本人にも学費を見せるんです。 医学部に進みたい場合は、高1から来たら3年間で250万~300万円かかります。 受験は本人に覚悟がないと厳しいです。だから腹をくくってから来てほしいんです。少々酷かもしれませんが、お金のことは逃げようのないこと。背中に槍をつきつけているようなものです。「後ろに下がったら痛いよ」と。
私は自分の小学生の娘にも、「うちはこれしかお金がないから、国立大学しか出せないよ。だから今から努力しないとね」と伝えてあります。
こんなにがんばったことはなかったです
- 鶴吉
まずは10月の模試を目標にして、原山さんの勉強は文字通り“突貫工事”でした。東進の映像講座を使って、概念を入れていくのと過去問を同時進行で。教科はまず数学と英語からでした。
- 原山
わかりやすかったですし、動画は1.5倍速で見られるのもよかったです。
- 鶴吉
実質約3ヵ月しかないので、時間短縮しないと間に合わない状況でした。
- 原山
共通テストの過去問は東進が作っているもので、解説がとても分かりやすいんです。点数が伸びていくのが分かって、うれしかったですね。それに、東進の講座は毎回テストがあるので、自分がどれだけ理解しているかも分かります。
- 鶴吉
共通テストの過去問10年分は、8月末までに終わらせなければならなかったんですよね。
- 原山
過去問は、どこが苦手なのか把握できたのがいちばん大きかったです。ときどきすごく悪い点数をとってしまうんですが、たくさん解いて慣れてきたのと、結果が出た時に先生がほめてくれるのが支えになって、「次がんばろう」と持ち直す精神力が鍛えられました。
- 鶴吉
そうして迎えた10月下旬の共通テストの模試では、原山さんの学力の伸びが証明されました。折れ線グラフにするとすごい角度で右肩上がり、という感じです。
- 原山
すごくうれしかったですね。この模試の結果がさらに追い風になって、どんどんアクセルを踏んでいくような感じで勉強が進められました。
私は今までずっと「自分ってなんてダメなんだろう」と思ってきたんですが、結果が出たことで「このままやればいけるんじゃないか」という希望を感じられるようになりました。
クラスメイトが指定校推薦を決める中で
- 鶴吉
10月の模試はとてもいい結果だったんですが、同じ時期に試練がありました。指定校推薦が決まって遊びはじめるクラスメイトの存在です。
もちろん、それが悪いということではなくて、そういったクラスメイトを尻目にがんばらなければならないという状況は、誰しも心が揺れますよね。いくら自分が望んでやっているとはいえ、受験勉強は多くの生徒にとって楽なことではありません。この苦しみから逃げたい、早く解放されたいと願うのは自然なことで、自分との闘いになるんです。ここが受験でいちばんネックになるポイントだと思います。
- 原山
私が通っていた高校は進路別にクラスが分かれているわけではなかったので、私が朝早く来て勉強している横で、朝のホームルームの時にゲームしているクラスメイトがいたりして。思った以上に受験が早く終わっている人が多かったんですよね。一緒にがんばれる人がどんどんいなくなる感じで。
そのことで友だち関係がギクシャクしたりとかはなかったし、「人は人、自分は自分」と分かってはいても、心の中はモヤモヤしていました。まわりの状況がどんどん変わっていく孤独感がつらかったです。
- 鶴吉
この時期は原山さんを励ます機会が増えていました。メンタルが崩れてきていたでしょう?
- 原山
はい。ずーっと暗い顔をしていた記憶があります。
- 鶴吉
教室に来た時も帰る時も表情がよくなくて、そういう時に「少し話す?」と声をかけていました。
- 原山
先生がいち早く気づいてくれていたので、自分から言いだす必要がなかったのは助かりました。
- 鶴吉
原山さんに限らず、この時期の高3は全員こんな感じですよ。ある男の子は週に2,3回家で泣いていましたから。親御さんから「息子が今日泣いていました。先生、フォローお願いしますね」と連絡が来ると、連携してフォローしていました。
いざ共通テストへ
衝撃の模試結果
- 鶴吉
そして、共通テスト直前の最後の模試が12月にありました。これは……衝撃でしたね。
- 原山
国公立にとても受かるような点数じゃなかったですね。全体的に成績が落ちて、得意な国語も点数が取れなくて……どこにも行けないと落ち込みました。
- 鶴吉
模試の結果はこちらにも届くんですが、「原山さん、どうしたの?」と。わたしの中でも動揺が広がりました。
- 原山
模試の時、いつもと違う感覚がありました。たとえば英語は、英文自体が難しかったのもあるんですが、頭にうまく入ってこない感覚で。緊張もあったと思います。ここが山場の模試だと、自分で自分にプレッシャーをかけていたのかもしれません。それで空回りしてしまいました。
- 鶴吉
私がアドバイスしたのは、「それまでやってきたことを信じろ」ということでした。結果が出ない時もあるけど、今までやってきたことを信じて前に進むことが大事だよ、と。
- 原山
塾からの帰り、車の中で勝手に涙が出てきて。運転していた母はあえて放っておいてくれました。泣く場所をつくってくれている感じで、それが支えになって……。
- 鶴吉
お母様にも「本人はしっかりやっていますから、あとは見守るしかないです」とお伝えしました。原山さんにはつらい経験でしたが、本人にしか乗り越えられない壁なんですよ。
そして、共通テスト本番
- 鶴吉
12月の模試でどん底を味わった原山さんですが、1月中旬の共通テスト本番ではやってくれましたね。
- 原山
はい。900点満点で●点 とることができました。学校の先生もびっくりしていました。自分がいちばん驚いていたかもしれません。
- 鶴吉
8月の模試と比較して230点アップです。普通は、100点アップすれば上出来と言われているんですよ。すごいことですよ。
共通テスト直前に三者面談をして、共通テストの得点に応じてプランA~Cまで話し合って決めていたのもよかったのかもしれません。原山さんの場合は、プランAは本命の東北大学、Bは静岡大学、Cは近畿大学でした。そのことで冷静に見通しを立てることができて、落ち着いて本番に向かえたかもしれませんね。
本人には「第一志望に向けてがんばれ」としか言いませんが、こちらとしては最悪の状況も想定して先を見通しておかなければならない。生徒本人の人生に関わることですから。
- 原山
共通テストの翌日にまた三者面談しましたね。
- 鶴吉
原山さんの共通テストの点数は、東北大を射程圏内に捉えるレベルだったんですが……。
- 原山
東北大は二次試験に私が苦手な数学があって。数学はなかなか点数が伸びなかったのと、何が何でも東北大という心境ではなかったので、静岡大学にしました。
- 鶴吉
静岡大に決めた理由も面白かったよね。「暖かいから」って(笑)。ここからは、受験する大学の二次試験の過去問をひたすらやる生活になります。
波乱が続いた前期試験
- 原山
2月頭の近畿大の入試は不運があり……。すぐ隣の受験生の貧乏ゆすりが激しくて、ぜんぜん集中できなかったんです。
- 鶴吉
私は「そういうヤツは殴っていい!」って言いました(笑)。
- 原山
後から思えば、試験監督に言えばよかったのかもしれませんが……。
- 鶴吉
近畿大は共通テスト利用と一般入試の両方を受験しました。使えるチャンスは使おうという戦略でした。貧乏ゆすりに悩まされた一般入試は不合格だったんですが、共通テスト利用では合格でしたね。
今、入試はとても多様化していて、ひとつの学部でさまざまな方法の入試を設定しています。複数受験したら受験料を割引してくれる大学まであるんですよ。
そして、2月下旬の静岡大の二次試験。ここでまた事件が……。
- 原山
前日から発熱してしまいまして。
- 鶴吉
新型コロナウイルスが流行しはじめていた時だったから、よく試験会場に入れたよね。
- 原山
それが、朝だけ熱が下がったんですよ。「今日は万全だからだいじょうぶだ、だいじょうぶだ」って自分を信じ込ませて。でも、いざ問題を読んだら何も頭に入ってこなくって。汗がだらだら出て呆然としているうちに、気づいたら時間が終わっていました。思い出すだけでぞっとします。
しかも静岡大学は2021年の入試から小論文が追加されて、過去問がない状態だったんです。
- 鶴吉
東進で小論文の講座は受けていたんですが、当日出た問題はまったく違う傾向だったんですよね。
- 原山
東進の講座では、長文をふまえて自分の考えを書くパターンだったんですけど、静岡大は「地域共生」「異文化理解」などの3つの単語からひとつ選んで自分の考えを書くというものだったんです。これが1時間目で、ぜんぜん書けなくて。発熱もあって記憶もおぼろげです……。
- 鶴吉
単語だけで他に情報がないところから書かなきゃいけなかったんですね。
- 原山
まわりの受験生も同じ条件ではあったのですが。
前を向いてラストスパート
- 鶴吉
そんなメタメタの状態だったのに、この時の原山さんは立ち直りが早くてびっくりしました。
- 原山
母に「ここで折れたらどこにも行けなくなってしまう。切り替えてがんばっていこう」「まだ終わりじゃないから」「今がんばれば必ず終わりは来るから」と言われて、「確かにそうだな」と思って。それで切り替えることができました。
- 鶴吉
試験の後に私が会った時の原山さんは、すでに腹をくくった状態でした。強くなったなと感じましたね。
- 原山
自分でも、こんなに早く切り替えられるものなんだとびっくりしました(笑)。
- 鶴吉
チャレンジをすると、人って変わるんだなと感じます。そしてまた三者面談で、中期試験の公立大学は都留文科大学に。長野県とその周辺で公立大の文学部となると、あまり選択肢がないんです。
- 原山
後期試験の富山大学は、学校の担任の先生と相談して決めました。後期は安全策を取らないと、もう後がないので。
前期試験のあとは、都留文科大学の国語対策と、富山大の小論文対策をやっていました。
- 鶴吉
都留文科大学は10倍、富山大学の後期は8倍(いずれも志願倍率)だったんですが、原山さんは見事に両方合格しました。
私も大学は後期試験で入っているので、大変さはよく分かります。前期で志望校に行けなかった人たちがレベルを下げて挑んでくるのが後期なので、ツワモノ揃いなんですよ。
- 原山
卒業式は中期試験の前だったので、しんどい思いで卒業式を迎えたのを覚えています。合格発表は3月の後半でした。母も「よくがんばったね、よかったね」と喜んでくれました。
- 鶴吉
合格発表の日は、私もパソコンの前でずっと画面をクリックして更新しながら「いつ発表されるんだろう」とドキドキしながら待っていたので、合格がわかってほっとしました。
受験がゴールじゃない
コロナ下での大学生活
- 鶴吉
晴れて富山大学人文学部の学生になったんですが、コロナの影響は大きかったですね。
- 原山
1回目の授業はできたんですが、それ以降はリモートになってしまいました(リモートは6月に解除)。入部したジャズサークルも、最初何度か顔を出しただけで全面禁止になって。
- 鶴吉
ジャズサークルではサックスをやってるの?
- 原山
いえ、ピアノです。実は、ピアノは高3の11月まで続けていたんです。小学校入学前から続けていたので。受験勉強のいい気分転換になっていました。
- 鶴吉
初めてのひとり暮らしはどうですか?
- 原山
楽しいです(笑)。海なし県育ちなので、海が近い富山の環境はとても新鮮で。お魚がおいしいです。
将来の夢
- 原山
学芸員と高校教諭の免許を、大学在学中に取りたいと思っています。
- 鶴吉
最初に話したことが残っていますね。
学芸員の話をした時に、高校の教員免許も取ると道が広がるよと伝えたんです。学芸員はなかなか募集がない狭き門です。高校の先生をやりながら、教育委員会に学芸員になりたいと打診すると、空きが出た時に声がかかりやすくなるんです。しかも、高校教諭の待遇のまま異動ができます。
- 鶴吉
大学を卒業したら、長野には戻らないんでしたっけ?
- 原山
はい。関西方面に出て就職したいと思っています。母の実家が関西でなじみがあるのと、私は古典文学が好きで……。
- 鶴吉
となると、やはり本場は関西ですよね。
- 原山
高校でも古文の授業は楽しくて。「幸せ」と思いながら授業受けていました。
- 鶴吉
原山さんには、大学の後期がはじまるまでの夏休みの間、後輩の相談に乗ってもらっています。
- 原山
後輩を見ていると、かつての自分と同じで「なんてダメなんだろう」と不安でいっぱいで自分を否定している人が多いと感じます。今となっては、不安でいっぱいになって勉強が手につかなくなるのはムダでもったいなかったなと。だから後輩には、自分の経験を交えながら「だいじょうぶだよ」と伝えています。
- 鶴吉
今振り返ると、原山さんの受験期はどうでしたか?
- 原山
逃げずにがんばってよかったなというのがいちばんです。あとは何より、まわりの支えでここまで来られたので、今は感謝を返したい気持ちでいっぱいです。
自分らしく生きるために
- 鶴吉
受験勉強をがんばった経験は、誰にも奪えない財産です。困難から目を背けず向き合うことが、そのまま生き方そのものに変わってくると思っているんです。人生の中で、困難に行き当たる場面は何回もあるんですよ。つらくても、それを直視して足を踏み入れなければ前に進めない。
大学は正直どこでもいいと思っています。要は、本人が納得して受験する、その過程が大事です。なりふり構わず、自分が欲しい物を手に入れてほしい。
私から原山さんに贈る言葉があるとしたら「自分らしく生きてください」。それだけです。自分らしく生きるというのは、どんな壁にぶち当たっても先に進めるということかなと思っています。
そのために大事になってくるのが、受験の先の目標です。その目標を実現するための方法はいくらでもあります。自分の心が出した答えに正直になってみて、どうしてもダメならプランB、プランCを考えればいい。まずは向き合ってみることですね。
- 原山
最初の三者面談で、鶴吉さんが「原山さんの人生を一緒に背負うのでがんばろう」と言ってくださったんです。ここまで言ってくれる先生に出会ったことがなかったので、まず驚きました。あとからその言葉をかみしめて「心強いな、支えられているな」という感覚が、いつも心のどこかにあった気がします。
- 鶴吉
私も同じだったんです。中学の先生からもらったアドバイスがずっと心に残っていて、受験で迷った時に進路を決めることができました。
- 原山
受験は今しかできない経験で、必ず終わりがあります。それに、努力の結果がここまではっきりあらわれることは人生でそうないんじゃないかと思って、がんばることができました。
不合格を経験したのも大きかったです。もちろんその時はすごくへこみました。でも、「自分自身の価値、人間性、人間としての魅力を上げるために受験勉強をがんばっているんだ」という気持ちでやっていたので、入試に不合格になっただけで自分の価値が下がるわけではないと気づくことができました。最終的に合格できたのは、これからの人生を生きる上で、大きな財産になったと思います。(取材・文/くりもときょうこ)