卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

中学時代にまつがくに入り、長野高校へ進学した野口五郎さん(仮名)。その後、1浪して北海道大学へ進学し、一時休学を経て3年生で信州大学医学部を受験します。信州大学医学部受験は、現役時代も合わせて3回挑戦したことになります。

一般的にはまわり道に見える紆余曲折を経ての医学部合格ですが、その時点での“最適解”を求めながらあきらめずに夢へ近づく中で、野口さんはさまざまな経験を積み重ねてきました。まつがくを卒業してからも折にふれて相談していたという長野柳町校の校舎長・松本伸司先生と、まつがくに通っていた中学時代から振り返ってもらいました。

野口さんのタイムライン

中2・3月

まつがく大町校に入塾

中3・10月

父の転勤で長野市へ引っ越したことで、まつがく柳町校へ

高校受験(2014年)

着実に学力をつけて長野高校に合格。まつがくを卒業

高3秋

志望校を信州大学医学部に変更する

大学受験(2017年)

信州大学医学部を受験して不合格。4月から河合塾(名古屋)で寮生活を送りながら浪人する

1浪(2018年)

北海道大学農学部に進学

大1・2月(2019年)

北海道で大学生活を送る

休学(2020年)

2年生から3年生に進級する際に1年、休学して長野に戻り、自宅で浪人生活を送る。2021年2月に2回目のチャレンジで不合格

大学3年生(2021年)

2021年4月から北海道大学に復学する。前期は大学の勉強とアルバイトに明け暮れ、10月から受験勉強を再開する。

2022年

2月に前期試験で信州大学医学部を受験(3回目)。3月に合格

1. 一年と少しのまつがく生活

自分で電話して大町校に入塾

松本

野口くんは、最初は大町教室だったんだよね。今回お話を聞くにあたって、当時大町教室を担当していた宮原先生に連絡したんです。宮原先生が「野口くんは勉強熱心でとても真面目でした」と言っていました。

野口

宮原先生には本当に親切にしていただきました。宮原先生は生徒を乗せるのがうまくて、おかげで勉強に集中できました。

松本

まつがくにはどういう経緯で入ったんですか?

野口

父の知人からすすめられて、自分で電話して問い合わせました。当時は勉強をする習慣が全くなくて、テストで低い点数を取るたびに親から説教されていたんですね。

松本

入会した時の記録に、中学の期末テストで合計372点とありました。中3で転校して、柳町教室(当時:現長野柳町校)に変わりましたね。

野口

父の転勤で長野市に引っ越して、柳町中学校(以下、柳中)に転校しました。学校から歩いて数分のところに柳町教室があったので、まつがくもそちらに変わって。

松本

私とはそこからの付き合いですね。勉強が好きかどうか尋ねたら大抵の生徒は嫌いと言いますが、野口くんは「好きです」とはっきり答えたので、驚いたのを覚えています。やる気がありましたね。志望校を長野高校にしたのはこちらに来てからだよね。

野口

はい。大町市に住んでいた頃は、大町高校と松本深志高校しか知りませんでした。柳中で成績上位の人はみんな長野高校を志望していたので、「僕も行きたい」と自然に考えるようになりました。

松本

最初は学年で15番に入るかどうかだったけれど、がんばりました。

野口

そうですね。努力が実を結んで、最後の総合テストは銅メダルだったと担任の先生がこっそり教えてくれました。

松本

入塾した時の定期テストの点数が372点だったのが、最後は443点と約60点アップしています。本当によく伸びましたね。

長野高校に合格

松本

中3の10月に引っ越してきて、受験まで5か月というタイミングでした。

野口

柳中に引っ越してきたのがちょうど文化祭が終わった時期で、クラスが団結していたんですね。人見知りの僕はクラスにうまくなじめなくて、休み時間はいつも一人でした。机に突っ伏して寝たふりをしたり、資源回収BOXに入っているプリントをさも興味ありげに読んだりして時間が過ぎるのを待っていました。いま思い返すだけでも涙が出てきます(笑)。だからこそ、まつがくに居場所を求めて自習室によく通っていましたね。

松本

ほぼ毎日来ていたよね。その時は勉強が好きなんだなと思って見ていました。

野口

数学が好きでした。

松本

数学はよくやっていましたね。まつがくでは、スタンダードな高校受験のための勉強をしていました。長野高校は、柳中でトップ10に入っていればたいてい受かるので。

野口

でも入試本番は401点で、かなりギリギリでした。理科で失敗してしまって…。たしか、固体の溶解度に関する問題で「溶媒100gあたり」という前提条件があることを知らなくて、「あれ?数値がぜんぜん出てこない」と詰まってしまったのを覚えています。

松本

うん、それでは解けないだろうねぇ。

野口

高校に合格してまつがくはやめたんですが、やめる前に印象に残っているのが、松本先生が高校数学の問題を解いてみせてくれた時のことです。1枚の紙にぎっしり書いてやっと解き終わったのを見て、「中学の数学とぜんぜん違う。高校ではこんなにすごいことをやるんだ」と驚きました。

松本

「高校の勉強はこういうものだよ」と見せるためですね。みんな合格すると気持ちが切れて勉強しなくなる。高校にいっても勉強は続くし、むしろ高校からが本番だと。それを伝えたいので毎年やっているんですよ。向井くんは数学が好きだったので、印象に残っていたのかもしれないね。

2. 高3の秋に志望校を決める

「お兄ちゃんはいつもうちで寝ています」

松本

野口くんは高校合格でまつがくを卒業して、入れ替わるように妹さんが来てくれるようになりました。

野口

高校生の間は塾に通わなかったのですが、塾に通えば良かったなと少し後悔しています。勉強の習慣をつけるという点で、塾の存在は大きいので。

松本

高校では気持ちが切れてしまったかな。

野口

バドミントン部に入部したのですが、学校で授業を受けて、夜遅くまで部活をやって、帰って疲れてバタンキュー…という生活になってしまって。どうしても、家でコツコツ勉強する習慣が身につきませんでした。

松本

当時2歳違いの妹さんがまつがくに通っていたのですが、高校受験の時に「お兄さんは勉強が好きって言っていたから、あなたも見習いなさい」と言ったら「お兄ちゃんはいつも家で寝ています」って返ってきたことがあります(笑)。「中学の時は違ったんだよ」と言い直してみましたが、「兄が勉強しているところを私は見たことがありません」ときっぱり言われました。

野口

その通りです(笑)。ただ長野高校には、早いうちから目標を定めて地道に勉強をしている人が多かったです。高3で受験勉強をはじめる人とは、かなりの差がつきますよね。

医学部志望でレベルの違いを痛感

野口

僕が受験勉強を始めたのは、部活を引退してからです。高3の6月ですかね。受験勉強を始めるといっても基礎が身についていないので、いきなり大海に放り出されたような感覚でした。学ばなければならないことはたくさんあるのですが、物事を体系的に捉えられない。どこから手をつけていいのか分からないままで、ちゃんと身についているのかも見えてこない。知識と知識がつながっていく感覚もいまひとつ得られず、そこがいちばん苦労しましたね。

松本

教材は何をつかっていたの?

野口

学校から配布される参考書をやっていました。

松本

医師になりたいというのはいつから?

野口

う~ん、あまり覚えていません。明確に医学部を志望し始めたのは高3の秋です。それまでは、なんとなく東北大学や北海道大学あたりの農学部を志望していました。クラスで医学部を志望している人たちは総じて学力が高かったので、学年の真ん中あたりの順位を行き来していた僕が医学部志望と公言するのは憚られましたね。

松本

まわりの人たちは塾に通っていましたか?

野口

ほとんどの人が通っていました。

松本

国公立医学部は難しいです。共通テストも科目数が多いので。それに、定員も少ない。

野口

倍率が高めですね。

松本

国公立医学部は狭き門だね。

野口

志望変更するまでは、模試の志望大学欄に東北大学や北海道大学の名前を書いていました。その時の判定はどちらかといえば良かったんです。それが、医学部に変更したらE判定で。

松本

信州大学医学部の二次試験は4科目です。

野口

数学、英語、物理、化学でした。面接もありますね。

松本

数学の範囲は数Ⅲまであるし、理科が2科目あるのも大きい。難関大を目指す人は、早い時期から勉強しているよね。

野口

そうですね。

松本

積み上げの量も違うし、高3になる時点で高3の勉強は終わらせている人もいるようにスピードも違う。単純に1日1時間やる人とまったくやらない人を比較すると、高1・高2で計700日として700時間の差がついていることになります。医学部に志望変更した時、学校の先生方の反応はどうでした?

野口

ネガティブな反応はなかったですね。先生方は親身になって相談に乗ってくれて、医学部志望者向けの模試をすぐに手配してくれるなど、サポートは手厚かったです。勉強で分からないところも気軽に質問できましたし。

3. 苦しい浪人生活

浪人生活、どう送るべきか?

野口

結局センター試験は自己採点で83%、二次試験もボロボロでした。合格最低点を100点近く下回って不合格だったので、学力の積み上げがまったく足りていなかったと痛感しました。それから、名古屋の寮に入って浪人生活を送ることになりました。

松本

私のところにも一度相談に来ましたね。名古屋に行くか、地元の信学会に行くか、予備校に行かずに自分でやるかの3択で悩んでいました。浪人生活をどう送るかは家庭の事情もあるので簡単にアドバイスできないのですが、「名古屋に行くと多分、遊んでしまうと思うよ。地元の信学会がいいんじゃないかな」という話をしました。

野口

その通りでした。予備校に行っている日中は勉強していましたけど、寮に帰ってきてからはほとんどやっていなかったです。本来なら、寮にも自習室はあるので勉強しなきゃいけなかったんですけど…。

松本

県外に出たのは初めてだったの?

野口

いいえ。転勤族だったので、幼少期に2年間東京に住んでいたことがあります。でも、一人暮らしは初めてでした。親の監視の目がなくなってタガが外れて…。結局センター試験で現役生の時より低い点数を取ってしまって、自分の学力と相談した結果、北海道大学を受験することにしました。

松本

もともと農学部志望で北海道大学も視野に入れていたからね。

高校卒業と同時に初めてスマホを持ったら…

野口

名古屋の寮生活でタガが外れたいちばんの原因は、スマホです。僕の場合、高校卒業と同時に初めて買ってもらいました。珍しいですよね。

松本

高校時代、周りの人は何割くらいスマホを持っていましたか?

野口

僕以外、たぶん全員が持っていたと思います。

松本

スマホ禁止は親の方針だったのかな?

野口

スマホ禁止というわけではないです。僕が高校入学時に「スマホを買って!」とおねだりしなかったせいで、スマホを買う時期を逸したという感じです。高校時代は、スマホを持っていないことがむしろかっこいいと勘違いしていました(苦笑)。ただ、いまどきスマホがないと不便ですよね。

松本

そうなると、スマホを手に入れた反動も大きそうですね。

野口

そうですね。みんな持っているのに僕だけ持っていないという状況が何年間も続いて、ある日突然スマホを手渡されたら、やっぱりスマホに熱中してしまいますよね。名古屋の寮では、YouTubeに転がっているアニメや映画はあらかた鑑賞しましたし、スマホゲームは何個もインストールしました。親に対して本当に申し訳なく思っています。

4. 三度目の正直でつかんだ栄光

北海道大学へ進学

松本

北海道での生活はどうでしたか?

野口

最高に楽しかったです。1年生の時に「北海道北部の自然と人々のくらし」という夏季集中講義があって、これが特に印象に残っています。北海道北部をあちこち移動し、フィールドワークを通して北海道の農業・林業・牧畜業などを学びました。たしか3泊4日の日程で、高校の修学旅行みたいでしたね。このとき初めて宗谷岬まで行きました。

松本

北海道の雄大な自然を満喫できたんだね。食べ物も美味しいでしょう。

野口

ジンギスカン、海鮮丼、スープカレー、豚丼、ラーメン…どれも美味しかったです。回転寿司に行ったら、寿司ネタの大きさに驚きました。

松本

北大は札幌駅に近くて立地も良いです。

野口

そうですね。すすきのにも近いです。

松本

ほかに北海道の思い出はありますか?

野口

農学部生物資源科学科では、農場実習や作物生産管理実習などの講義がありました。作物生産管理実習では、学生一人ひとりに土地が割り当てられて、作物を自由に育てることができるんですね。僕はスイスチャードとスイートバジルを栽培しました。畑仕事で汗を流したのは良い思い出ですね。

松本

北海道で丸2年過ごした後、野口くんは2年から3年に進級するタイミングで1年間休学することにしたんだよね。

野口

はい。いろいろと考えた結果、長野に戻って再び信州大学医学部を受けることに決めました。

松本

信州大学医学部は編入学の制度がないので、現役生に混ざって一般受験になります。

野口

1年間自宅浪人したわけですが、これもまた残念な結果に終わってしまいました。

松本

何が良くなかったと自分の中で分析していますか?

野口

やはり、直前期になっても英語に一切触れずに入試本番を迎えたことが敗因だと思っています。数学や理科は勉強していて楽しいというか、答えが合っていた時の喜びがモチベーションにつながるのですが、英語の場合は長文を読むのが苦痛で仕方がなくて、ついつい疎かにしてしまいました。共通テストの英語は簡単なので点数は取れましたが、二次試験の難しい長文がまるで読めなくなっていました。偏った勉強をしてしまうと、やっぱり結果はついてこないですよね。

スマホを郵便受けに封印して短期集中

松本

北大に復学してからの受験勉強はどのようにやっていましたか?

野口

実は、北大に復学してからしばらくの間は受験勉強から完全に離れていました。前回の受験がダメだったことで精神的に参っていたし、一度やったことのある勉強を繰り返しやるのはキツいので、もう二度と受験勉強はしないつもりでいました。だけど夏休みに長野へ帰省して、それから北海道に戻って来た時に、おもむろに受験勉強を始めました。

松本

前期は大学の勉強以外で何をしていたの?

野口

暇さえあれば料理ばっかり作っていましたね。自炊レパートリーが増えていくことに快感を覚えて、おかげでアルバムは料理の写真でいっぱいになりました。あとはバイトです。

松本

再び受験勉強を始めたきっかけは?

野口

3年生なので就活を意識し始めるのですが、そこでやっぱり医学部に行きたいという気持ちが再燃したんです。10月から、スマホを郵便受けに封印して猛勉強しました。

松本

大学の授業と並行して頑張ったんだね。勉強法は変えたりしましたか?

野口

勉強の中身は変わらないですから、参考書も変えずにやっていました。

松本

「赤本」*1 はやりましたか?

*1 教学社が刊行している大学別の問集シリーズ。名前の通り表紙が赤い。2022年3月時点で378大学633点が刊行されている。60年以上にわたって、大学受験の過去問集の代名詞として親しまれている

野口

過去問は直前期にちゃんと解きました。あと、前回の受験の反省を生かして、二次試験前は毎日欠かさず英語の長文に触れるようにしました。

松本

数学は何を使っていましたか?

野口

「やさしい理系数学」(河合出版)をやり込みました。あとは基本に戻って「青チャート」(数研出版)を復習に使っていました。

松本

「青チャート」を完璧にするのも大変ですよ。野口くんは勉強のセンスは良い。やればできるんですよ。

野口

でも、腰が重いんですよね。僕は忙しくないと何もやらない人間だということに最近気がつきました。小学生の頃から、夏休みの宿題も最終日に慌ててやるタイプでしたから…。もしかしたら、大学や自炊で忙しくて受験勉強にあまり時間を割けない状況が、かえって良かったのかもしれません。共通テストが終わってから、大学の期末試験の対策をしたり、パワーポイントでプレゼン資料を作成したりしなきゃいけなかったのは大変でしたけど。

セカンドチャレンジが多い医学部

松本

合格した今年の受験の手ごたえはどうでしたか。

野口

手ごたえはそんなにありませんでした。共通テストが難しかったですし、二次試験の数学もまずまずでしたから。でも、集団面接が一通り終わった後、僕は再面接を受けることになったんですね。再面接は受験生ひとりに対して面接官3人で、20~30分かかりました。そこで面接官の方から「君はいずれ良いことがあるよ」というニュアンスのお言葉を頂いて、そこで初めて手ごたえを感じました。

松本

ほほう。

野口

これはあくまで自分の推測なのですが、2日目の集団面接が始まる段階で筆記試験のおおまかな採点は終わらせていて、合格点に届いた受験生の中から面接官が気になる人を再面接に呼んでいるのではないかと思いました。実際、再面接では経歴について詳しく聞かれましたし、自分と同じ面接グループから一緒に再面接に呼ばれた人も大学3年生でした。ほかの受験生の前では聞きづらいようなことを再面接で聞くのではないかと思います。

松本

医学部の場合、現役ストレートだけではなく、さまざまな経歴をもつ人がいますからね。

野口

先日、部屋探しのために松本に行きましたが、そのときお世話になった不動産屋で医学部の先輩がバイトしていたんです。その人は早稲田卒の再受験生らしくて、ほかにも東大や北大を経由してから医学部に入り直している人がいるという話を聞きました。

松本

現役生、浪人生以外のさまざまなルートから医学部に入学する人は増えましたね。昔は現役じゃなきゃダメ、卒業したら就職というように固定化されていて、セカンドチャレンジは珍しかった。それだけ柔軟に挑戦できる時代になったということでしょうね。

5. 信州大学医学部に恋をしていた!?

3回トライした理由

松本

現役時代から数えて3回、信州大学医学部に挑戦しました。あきらめなかったのはなぜですか?

野口

高3の秋に突然医学部に行きたいと言い出した理由のひとつに、僕が当時気になっていた人が医学部志望だったということがありまして…。

松本

それは初耳ですね。

野口

合格したから言える話ですよね。

松本

その人は結局どうだったの?

野口

僕は当時スマホを持っていなかったので連絡先は分からず、その後のことは知りません。

松本

医学部の先輩かもしれないね。その時の想いが残っているということかな?

野口

うーん。その人に対する想いが巡り巡って、最終的には信州大学医学部に乗り移ったのかもしれません。すいません、自分でもちょっと何を言っているのか分からないです(笑)。それにしても不純な動機ですね。

松本

いやいや、そんなことはないです。こんな例もありますよ。僕の高校時代、学年トップの男子生徒がいて、前期試験で東大に合格したのに、わざわざ後期試験で一橋大を受けてそっちに行ってしまったんです。その理由は、付き合っていた彼女が一橋大に合格したから。みんな「だったらオレに東大合格を譲ってくれよ」と言っていました(笑)。野口くんのエピソードと似たところがありますね。

想像以上に家族を喜ばせた合格

松本

今年受験することはご家族には話していたんですか?

野口

家族には秘密にしていました。ただ、面接用のスーツを取りに長野の実家に戻った時にバレてしまいました。2月25日の夜に帰ると家族に伝えた時点で、薄々感づいていたようでしたね。

松本

共通テストはどこで受けたの?

野口

札幌で受けました。

松本

合格を伝えた時のご家族の反応はどうだった?

野口

合格が判明した時はちょっとしたお祭り状態でした。特に、祖父母は過呼吸になるくらい合格を喜んでくれました。何回も受験しては不合格でがっかりさせていたので、これでトントンですかね。そういえば、僕のあずかり知らないところで母が松本先生に伝えていたようで。

松本

お母さんから電話があったので、いま通っている3番目の妹さんの話だと思ったんですよ。ちょうど高校入試目前だったので。そうしたら「受かりました」ってお母さんが言ったんです。「あれ?まだ受験していないよな」と思ったらお兄ちゃんのほうで、びっくりしました。今年受験していることを私も知らなかったので。

野口

松本先生には、何度か相談に乗ってもらいました。

松本

大学を休学する時も相談に来ましたね。妹さんたちがこちらに通っているのもあって、ときどき顔を合わせていましたからね。

野口

今年高校受験の3番目の妹も合格したので、朗報が続いています。

松本

4番目の妹さんは春から中学生ですか?

野口

はい。時の流れは速いものですね。

松本

北大での生活はどうでしたか?

野口

楽しかったです。少ないながら友だちもできました。大学の先生や友人には、これから合格の報告をします。

松本

一度北海道に戻って、引っ越しと退学の手続きですね。医学部に進んだら、専門は何を目指しますか?

野口

外科系に進みたいです。手先が器用だと思っているのと、マンガ『JIN-仁-』*2 の主人公に憧れているからです。6年間学ぶ中で、具体的にどの診療科に進むか決めたいと思います。

*2 現代日本で脳外科医として働く南方仁が江戸時代にタイムスリップし、先進医療を使って人々を救う姿を描いた人気医療&幕末歴史マンガ。村上もとか作。単行本は集英社より刊行

松本

合格は本当に嬉しい驚きでした。これから6年間、頑張ってください。

 

(取材・文/くりもときょうこ)