卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

中学時代からの弱点を抱えたまま高校に進んだ危機感から、まつがく上田駅前校に入った甘利胡春さん。一度は数学の成績を大きく上げたものの、班活(部活)の忙しさで思うように勉強できない時期が続きます。小学校の先生というかねてからの夢と再度向き合い、学校推薦で埼玉大学教育学部の教育学専修を目指すことにします。

教育に対する誰よりも強い思い、そして埼玉大で学びたい意欲が最後、合格への扉を開きました。甘利さんを見守ってきた山本雄一先生と甘利さんの合格までを振り返ります。

甘利胡春さんのデータ

●出身校/長野県上田高等学校 ●将来の夢/小学校の先生

高2・4月

高1春期講習を経てまつがく上田駅前校に入塾。当初の志望校は東京学芸大学教育学部学校教育教員養成課程で、初等教育専攻音楽コースを志望

5月

高校の定期テストで数学が200番台から60番台に上がる

8月

ダンス班から野球部マネージャーに変わる。忙しくなり通塾ペースが落ち、学力判定テストを受験できないなど学習が低調に

9月

志望を音楽コースから特別支援教育専攻に変える

3月

第2志望として埼玉大学教育学部教育学の教育学専修を考えはじめる

高3・7月

野球班引退。本格的に受験勉強をはじめる

8月

埼玉大学の学校推薦型選抜を視野に入れはじめ、志望理由書や小論文の指導をはじめる。秋にかけて学力も上がってくる

9月

面接の指導、練習をはじめる

11月

埼玉大学教育学部教育学専修の学校推薦入試を受験する

12月

合格

1.生徒の成長を一緒に喜べる先生になりたい

勉強についていけない焦り

山本

胡春さんがまつがくに入ったのは、高1の春期講習がきっかけでした。ダンス班で元気そうなイメージの生徒さんで、入塾当初は毎日通ってきてくれていました。まつがくは、上田駅前を通る時に看板を見て知ってくれていたそうですね。塾に入ろうと思ったきっかけを教えてください。

甘利

本当に勉強についていけなくて、どうにかしないと、と思いながらどうしていいかわからない状態でした。

山本

atama+はインパクトがあったそうですね。

甘利

すごく自分に合っていると感じて、数学と英語ではじめました。数学は問題を解くのはすごく好きなんですが、高校で難しくなって苦手になりはじめていました。

山本

英語はどうでした?

甘利

実は、英語はずっと文法がわからないままで……。高校受験の時も、文法がわからないまま受験していました。

山本

高校受験の時は塾に行っていたんですか?

甘利

自習専門の個人経営の塾に通っていました。高校受験の時は、勉強のやる気がぜんぜん起きなくて、でも上田高校のダンス班に入りたいという気持ちはずっとあって、点数は足りないのに志望は出し続けていました。それでも担任の先生が「上田高校に行くんだよね」と言ってくれたので、やっぱり諦めたくないと、そこから勉強をがんばりました。

山本

先生に恵まれましたね。

1か月で数学は200番から60番に

山本

入って1か月で、数学の点数が一気に上がったのはすごかったですね。なぜ一気に上がったと思いますか?

甘利

ちょうどテスト範囲の単元からはじめたのもありますが、なぜその公式を使うのかといった意味がわかるようになったからだと思います。記述問題で最後まで答えを出せなくても、なんとなくこうしたら解けるんじゃないかということが自分で考えられるようになりました。

山本

この間、やっていたのはatama+だけです。それでも、まつがくに来るのはけっこうめんどくさいと思っていたとか。

甘利

合格後に答えたアンケートで、「行くまではめんどくさいなと思うけれど、行くといつも行ってよかったと思って帰ることができる」と書きました。

山本

あと、胡春さんはダンス班のお友だちなど大勢紹介してくれました。

甘利

atama+をやればみんな勉強ができるようになるんじゃないかと思うくらい、すごくよかったので。実際にテストで点数が上がったのは友だちも見ていたので、説得力があったみたいです。

山本

当初の志望校は、東京学芸大学の初等教育(小学校)の音楽コースでした。

甘利

小学校の先生になりたくて、では何を専攻するかと考えた時に、いちばん自信があるのは4歳から習っているピアノだったので、音楽コースを志望しました。

山本

胡春さんのご両親は小学校の先生なんですよね。

甘利

母が音楽で父は体育の先生です。専科だけでなく担任もしています。両親とも帰ってくる時間が遅くて大変だなというのは幼い頃から感じてきたんですが、生徒の成長を一緒に喜ぶ両親の姿を見て、私も先生になりたいと思いました。

2.勉強と班活の両立に悩む

ダンス班から野球部マネージャーに

山本

びっくりしたのが、高2の夏にあんなに憧れて入ったダンス班から、野球班マネージャーに変わったことです。

甘利

高1の時に野球班の子と仲良くなったことをきっかけに、野球班のみんなと仲良くなってマネージャーに誘われていました。高2の春に野球班の大会を見に行って鳥肌が立つくらい感動して、応援したいという気持ちが強くなって。でも、ダンス班で全国大会に行く目標もありました。すごく迷って、夏の大会で全国に行けたらダンス班をやめて、マネージャーになろうと決めました。

山本

ダンス班は夏の全国大会で3位に入賞して、目標達成しました。8月に野球班マネージャーになってから、すごく忙しくなってしまいましたね。

甘利

まつがくにも週1回来られればマシという状況でした。

山本

同時に、志望も音楽コースから特別支援教育コースに変えました。

甘利

この生活の中でどれを削るかとなったら、ピアノしかなくて。

山本

特別支援教育を選んだのはなぜですか?

甘利

小学校の頃から、発達障害を持つ子のことはずっと気になっていました。私の友だちに発達障害かなと感じる子がいて、もっとひとりひとりの個性を大事にできたらいいのにと思っていました。それで、小学生までは児童精神科医になって、発達障害で困っている子どもの助けになりたいと思っていたんです。ピアノをやめる時に、改めて自分が何をやりたいか考えて特別支援教育にしました。

山本

野球班マネージャーになってからは、勉強は低空飛行が続きます。学力判定テストは受けられない時もあって、受けても点数がふるわなくて。

甘利

寝ながら受けていることもありました。気持ち的にすごく疲れていました。先輩から引き継ぎはしていたけれど、自分が何をしていいかわからない場面もあって、監督もすごく怖くて。

山本

この時期から引退まではとても心配していました。胡春さんは明らかに疲れていたし、来られない日も続いていました。学芸大は難関なので、その点でも大丈夫かなと。それでも、地理の勉強方法を聞いてくるなど、本人になりに危機感があって何とかしようとしている姿もありました。どれくらいでマネージャーの仕事に慣れてきたんですか?

甘利

9月の秋大会の頃ですね。野球班に入る前から、マネージャーの仕事でいちばん大事なのはスコアを書くことだと思ったんです。先輩からは1年はかかると言われていたんですが、必死で練習して秋大会にはベンチ入りさせてもらいました。

山本

がんばりましたね。

志望校と受験方法を変える

山本

高3になる直前に、第2志望で埼玉大学が浮上してきました。

甘利

兄から埼玉大学の推薦入試の情報をもらっていて、高1の頃から意識はしていました。改めて埼玉大のホームページで教育学専修を見て、自分がやりたいことが詰まっていると感じました。母にも相談したら、教育のいろんなことを捉え直せるし、私が学びたかった普通学級にいる発達障害がある子どもたちのことはむしろ教育学専修のほうが学べそうだということもわかりました。

山本

より進路が明確になっていった時期ですね。高3の7月に野球班を引退していよいよ本格的に受験勉強に入りましたが、正直厳しいかもしれないという思いもありました。胡春さんは数学の成績が上がって、夢に対する気持ちもすごく強いから、何とかなるかもしれない可能性もありましたが……。

甘利

生から学力は上がってきていると言われていたんですが、私自身は勉強にはなかなか自信が持てませんでした。高校受験が大変だったので一般入試は怖いというのもありましたし、高1の頃から推薦を考えていたこともあります。

山本

それで学校推薦が本格的に視野に入ってきました。そっちで全力を尽くそうと。

苦戦しながらもやればできることを実感

山本

夏から小論文や志望理由書の練習をはじめました。志望理由書は結構苦労しましたね。

甘利

まつがくの先生と学校の先生からたくさんアドバイスをもらって。右往左往していました。

山本

胡春さんは思いが具体的で強かったから、決まった文字数に収めるのにすごく苦労していました。小論文は過去問が2年分しかなかったので、いろんな大学の過去問をひっぱり出したり、関係ありそうな小論文も探してきたり。手探りの部分もあって、やればやるほど不安になってくるところはあったかもしれません。そういえば、小論文では漢字が書けないという思わぬ落とし穴がありました。

甘利

漢字は間違って覚えていたり、そもそも覚えていなかったり、かなり適当だったんですよね。学校で小論文を見てくれていたのが国語の先生だったので、たくさん指摘してもらって、自分はこんなに漢字が書けないんだと痛感しました。小論文はよく使う漢字がある程度決まっていたので、何回も書くことで覚えました。

山本

漢字は積み上げなので、手が覚えるくらいやらないとなかなか難しい。そして、9月からは面接の練習もがんばりました。

甘利

面接は得意だと思い込んでいたんですが、思っていることをただ話すのではなく、「相手に伝わるように」「まとめて」話すのは難しかったです。

山本

同時にatama+と並行して共通テスト用のAI特訓もやって。学力に自信がないと言っていましたが、手ごたえはありましたか?

甘利

ありました。特に英語は自信がなくて、長文を時間内に全部読むのは勉強してもできるようにならないんじゃないかと思っていました。夏休みに、英単語を覚えないと長文は読めないことに気づいて、毎日1時間半かけてやるようにしました。

山本

英単語は毎週テストでやっていたんですが、胡春さん自身がそれだけだと足りないと感じて自分でやっていたんですよね。

甘利

atama+の英単語はすごく良かったです。何回も何回も問題を出してくれる中で、覚えたものとそうでないものを判定してくれるんです。それを全部完璧に覚えるレベルまでやりました。ただatama+は4択だったので、なんとなく正答できてしまうことがありました。それで、選択肢を隠して一発でわかるまでやっていました。

山本

学力については、最終的に自信はつきましたか?

甘利

共通テストの問題を解く中で、学力がついてきているのは実感できました。自分も勉強すればできることがわかってよかったです。

山本

そりゃそうですよ。これだけきちんと受け答えができるんですから、ちゃんと勉強すれば伸びます!

3.つらくてもワクワクした気持ちは見失わない

入学を楽しみにしているからやるしかない

山本

推薦入試は11月16日でした。入試直前、僕としてはひとつ反省点がありまして……。胡春さんの状態としても、埼玉大学の教育学専修という点でも、絶対受かるとは言えない状況だったので、厳しいことを言って不安にさせてしまいました。

甘利

自分としても結構苦しかった時期ですね。

山本

胡春さんは、共通テスト対策と推薦対策を並行していて、まつがくで共通テストの勉強を優先していました。

甘利

帰宅すると疲れていて、明日提出しないといけない小論文とかじゃないと自分に負けてやらなくなってしまうなと思ったんです。1週間前からはそれだと間に合わないと感じで、まつがくでも小論文をたくさん書いたり、関係する本を読んだりしていました。でも、その分共通テスト対策ができなくなっていることに焦りを感じて、もし推薦が不合格だったら行けるところがないんじゃないかと不安になっていました。

山本

私たちは、推薦も一般入試も両方届かなくてつらい思いをさせてしまった生徒さんを見てきているので、推薦はおまけみたいなものだよ、力は入れていいけれどやっぱり勉強、学力がいちばん大事だよという話は、胡春さんに限らず口酸っぱく伝えています。この時期、本当につらかったと思うんですが、どうやって自分の気持ちを保っていましたか?

甘利

埼玉大を調べれば調べるほど行きたい思いが強まって、本当に受かりたいならやるしかない。埼玉大に行けることが楽しみだったので。

山本

胡春さんは周りを元気にする力、周りが応援したくなる力を持った生徒さんだと思うんですよね。野球班のマネージャーもそうだし、周りのみんなを巻き込んで、力を借りていい結果を残していく。これから先もそうやって人生を切り拓いていくんじゃないかと僕は思っていますよ。

合格を確信する

山本

試験当日は緊張したでしょう。

甘利

そんなに緊張してなかったんです。前日、学校が終わった後に母と新幹線に乗って、大宮駅で美味しいものを食べて、小論文や面接のことは考えませんでした。今までやってきたから、これ以上はいいやと思って。当日、大学の構内に入ってからは見た目で負けたくなかったし、緊張しているとも思われたくなかったので、すごく胸を張って、ランウェイを歩くように廊下を歩いていました(笑)。

山本

面接はどうでしたか?

甘利

面接で合格を確信しました。

山本

すごい(笑)。確信した理由は?

甘利

聞かれた質問に対して、いちばんいい答えを全部話せた自信があったからです。面接官の人ともいろんなお話ができました。私が入りたいと思っていたゼミの教授は2025年で退職されてしまうのですが、他の教授の方がゼミの話をしてくれて、私がやりたいことに合っていると感じました。

山本

もう巻き込んでいますね。

甘利

埼玉大学のホームページを読んですごくワクワクした話をした時に、面接官の方が「私もあなたの志望理由書を読んですごくワクワクしていました」と話してくれました。

山本

面接で教授が自分のゼミの話までするのは、なかなかないですよ。小論文はどうだったか、改めて聞かせてもらえますか。

甘利

テーマは高校入試改革についてでした。志望理由で触れた経済格差の話をデメリットとして書くことができました。午前中の小論文の試験が終わったあとすぐに、自分が書いたことを思い出しながらLINEに書いて両親に送ったんです。そこで「大丈夫」と言ってもらっていたので、自信を持って午後の面接に臨めました。

自分に合った受験方法を探して

甘利

12月3日の合格発表は、学校のトイレで見ました。

山本

なぜトイレ!?

甘利

合格発表の時間は模試形式の演習中だったので抜けることができなくて、トイレ休憩の間に見るしかなくて。

山本

僕もLINEで報告を受けて、ほっとしました。ご両親も喜ばれたでしょう。

甘利

私より両親のほうが受かる気でいて、親戚にも「絶対受かるから」と触れ回っていました(笑)。

山本

大学では留学したいそうですね。留学先は決めているんですか?

甘利

まだ決めていません。中1の時に信濃毎日新聞の学生記者としてアメリカに行って、海外に行くと価値観がすごく変わることを実感しました。でも英語がぜんぜんできなくて、もっと英語がでコミュニケーションが取れるようになりたいです。

山本

胡春さんが大学受験を通して感じたこと、これから受験生になる後輩に伝えたいことがあれば、ぜひ教えてください。

甘利

大学受験は情報勝負です。どれだけ情報を得て、自分に合った受験ができるか。私のように勉強に苦手意識がある人は、いろんな考え方ができたほうがいいと思います。自分で調べていろんな受験の仕方があることを知るのはすごく大事です。

山本

今は総合型選抜も増えているので、僕も小論文や面接指導の重要性もより上がってきていると感じています。特に小論文の指導をしていると、その人の考えていることがすごくよくわかるんですよね。

胡春さんに関しては、ときどき弱音は吐いても、やっぱり気持ちが強かった。教育についてこれだけ思いがある高校生は初めて会ったので、驚かされることがたくさんありました。胡春さんは大学に行っても学校の先生になっても勉強し続けて、いい先生になると思います。理想があるから苦労もするし、闘う場面もあると思うけれど、きっと乗り越えられるでしょう。体に気を付けて、自分のやりたいことを貫いてください!

 

取材・文/くりもときょうこ