卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

軽井沢町に住み、「まつがく佐久岩村田駅前校」に小学生の頃から通っていた志立藍さん。一斉授業が苦手ゆえの不登校を経験し、自分に合う道を模索します。まつがくで勉強の自信を取り戻しながら探究学習型の塾にも通い、プロジェクトにどっぷり浸る楽しさを覚えました。

高校は話題のN高等学校へ。通学コースを選んで、プロジェクト活動にのめり込んでいきます。生来の聡明さに加えて、自分の興味のおもむくままに好きなことを突き詰める高校生活の結果、指定校推薦で早稲田大学商学部に合格しました。

入塾時から藍さんの指導をしてきた校舎長の阿由葉塁先生と、枠におさまらない志立さんの小中高生活を振り返ります。

志立さんのタイムライン

小5

中学受験も視野に入れて入塾

講師ひとりに生徒3,4人の個別指導で算数と国語の学習を進める。週1回のペースで通塾

小6

まつがくに加え、東京都文京区にあるアウトプット型・探究学習塾「エイスクール」に週1回通い始める

中1

通塾を続け、定期テストでは常に高得点を取る

中2

いくつかの高校を見学し、長野高校を第一志望に

中3

海外の高校へ進学する選択肢も浮上し、英語の勉強に集中するため、まつがくを中3の4月末で退塾する

高1

コロナ禍などで海外留学は断念。いろいろ検討した結果N高に入学し、埼玉キャンパスに通学する

高2

総合型選抜で私立大学を目指したいということで再入塾。アタマプラスで英語の指導開始

高3

8月末、指定校推薦のめどがついたため英語指導を一旦ストップ。指定校推薦と時期が重なっていた私大入試(総合型選抜)のためのサポートに注力

12月、指定校推薦で早稲田大学商学部に合格

1. 一斉授業がつらかった

移住後、小3で不登校に

阿由葉

藍さんと初めて会ってから、もう7年経ちますね。軽井沢には移住してきたんですよね。

志立

東京で生まれて、小3の春に移住してきました。もともと家族で軽井沢によく旅行していて、好きな場所だったんです。

阿由葉

移住後、小3の夏休み明けから不登校になりました。

志立

夏休みが明けた時に、学校に行きたくない気持ちが強くなりました。東京の小学校の時も、長い休みの後に行きにくくなることがありました。友だちも多かったので少し時間が経てば行けるようになっていたんですが、軽井沢では引っ越したばかりで友人関係もまだあまりなかったので、拒絶感が強く出てしまったのかなと思います。

阿由葉

その後はどんな風に過ごしていたの?

志立

不登校になってすぐは保健室登校や、教頭先生や担任の先生と少しおしゃべりしに行くというのを繰り返していました。少しずつ時間を伸ばしたり、やることを増やしたりしている中で、5年生に進級するタイミングで「集団生活に戻ろうか」ということで特別支援学級に入りました。

阿由葉

特別支援学級はどんな感じでした?

志立

いろんな学年の子たち3,4人に担任の先生がひとりでクラスが組まれていました。それぞれの生徒が来られるタイミングで登校して、その時にいる先生がみるというかたちでかなり自由ですね。勉強もどこをやるか自分で決められて、終わったら遊ぶという感じで、本当に良かったと思います。

2年間勉強をしていなかった

阿由葉

小5の9月にまつがくに入ってくれました。塾に入ろうと思ったきっかけは?

志立

不登校になった小3から小5の間、本当にまったく勉強しなくて、九九も忘れていたくらいだったんですね。軽井沢は町内に中学校が1つしかないので、不登校のことを知っている友だちが多い中学校に入るのもちょっと……と思って、中学受験も考えていました。でも、九九もできない状況で受験は無理だから、真面目にやらないといけないと思って塾を探していましたね。

阿由葉

まつがく以外の塾も見学したんですか?

志立

はい。他にも見ました。個別指導塾や家庭教師で探して、いろんな先生と話をしました。

阿由葉

僕は最初の窓口で、藍さんの個別指導の担当にもなりました。「勉強するだけ一生懸命やろうよ」と話したのを覚えています。最初にお母様から聞いたのは、よその塾さんだと「受験は難しいかもしれませんよ」「指導が大変かもしれませんね」という話が最初に出てしまうということでした。

志立

全然知りませんでした。

阿由葉

「まつがくは、まっすぐに受け入れてくれたので入塾を決めました」とお母様が仰っていました。僕は入塾の窓口の仕事を始めて2年目くらいだったので、選んでいただいたのがすごく嬉しかったのを覚えています。塾講師として自信になりました。

志立

いろんな塾を体験した後に母とはたくさん、どうだった、ああだったと話をしました。それまでは、見学に行っても「あとでお返事します」と保留していたんですが、まつがくは即決でした。

阿由葉

小学生の時は週1、中学生からは週2のペースで通ってくれて、算数と国語をやっていました。最初の1年くらいは、勉強ができているのに藍さん自身は「できない」と認識しているギャップがありましたね。そのギャップを埋めることを意識して指導していました。

志立

全然覚えていません(笑)。

阿由葉

算数に関しては、計算ミスをしても自分で解説を読んでなぜ間違ったかを分析して言語化できていた。「そこまで分かっているなら、間違えなきゃいいんじゃないのかな?」と冗談で返すくらい、できていましたね。

志立

漢字は小3のドリルからはじめましたね。

阿由葉

そうですね。教室にあった教材で、復習からはじめました。範囲を決めて次回テストをして、というのを繰り返していました。これも、本人は「分からない」と言いつつほぼ得点できていました。家でも勉強していたのかな?

志立

出された範囲は、家や学校で勉強していたと思います。

阿由葉

当時は、自己肯定感が低かったように感じていました。

志立

そうですね。ふつうのことができない意識がすごく強くて、何に対しても苦手だと感じていました。九九ができないというのは当時、致命的だと思っていたんですよね。小学生はどうしても世界が狭いですし、友だちとしゃべっていても、自分はできないと感じることが多かった気がします。

探究学習、プロジェクト学習の楽しさを知る

阿由葉

入塾して9か月後、小6の6月には「エイスクール」にも通うようになりました。

志立

自分のコミュニティが本当に狭かったのもあって、母が「行ってみたら?」と紹介してくれました。

阿由葉

東京の塾だから、新幹線で通っていたの?

志立

週1回、母と一緒に新幹線で通っていました。中学生からはひとりです。エイスクールは探究学習の塾で、1か月で1プロジェクト、もしくは2か月に1プロジェクトというスタイルでした。当時、特別支援学級やまつがくに通ってはいたものの時間としては短くて、自己表現する場がほとんどありませんでした。エイスクールでは、プロジェクトにどっぷり浸かりこんで家でもやっていたほどで、とても面白かったですね。

阿由葉

プロジェクトはどんなことをするの?

志立

「なりきりプロジェクト」というお仕事系のプロジェクトをやっていて、すごく刺激になりました。今のエイスクールはカリキュラム化が進んでいるんですが、当時はまだゆるくて、「国際」みたいなひとつの大きなテーマを与えられて好きにやっていました。

阿由葉

好きな切り口で探究できたんだね。

志立

当時、服飾や美に興味があったので、私は伝統衣装を調べました。ノルウェーのブーナッドという民族衣装について2か月くらいずっと調べていました。

2. 起業と海外留学への憧れ

中学は地元の公立中へ

阿由葉

そして、中学どうするという話になるんですが、実は僕も経緯をよく覚えていなくて。

志立

私も覚えていなくて母に聞いたんですが、母も覚えていなくて(笑)。

阿由葉

結局、軽井沢の公立中に行ったんだよね。受験はしなかったんだっけ。

志立

しませんでした。今から考えるとですけど、いろんなことができるようになってある程度自信がついたこともあって、こだわりがなくなってきたんだと思います。新島学園中学校と東京の上野にある学校の2校で考えていたんですが、どちらも遠いんですよね。あと、軽井沢中は校舎を建て替えたばかりですごくきれいだったんです。いろんなことがあいまって軽井沢中に決めた、ということを母と話していました(笑)。

阿由葉

東京の中学も考えていたんだ。

志立

ありがたいことに、「どこでもいいよ」というスタンスの両親だったので。

阿由葉

勉強は相変わらずよくできていたよね。特に数学は高得点をキープしていた記憶があります。

志立

中学校の間は勉強で苦労した記憶はあまりないです。国語が最初の頃、漢字で引っかかっていたくらいで。

阿由葉

最初だけね。勉強に対して、そもそも苦手意識はなかったんだね。

志立

一斉授業で自分のペースに合わないという点ではすごく拒否反応があったんですが、勉強自体に対して苦手意識はなかったです。小学校の時は自己肯定感が低くて勉強が苦手と思い込んでいたんですが、それが取り除かれると大丈夫でした。

阿由葉

中学に入る頃に自信を取り戻したんだね。僕は、藍さんが「英語があんまり好きじゃない」と言っていた記憶があります。

志立

好きじゃなかったですね。英語は綴りとか覚えるものが苦手で。

阿由葉

漢字もそういうところが少しあったね。とはいえ、最小限の努力でかなり高得点が取れるタイプだとは思います。

志立

当時はすごく頑張ってキープしていたつもりだったんですが、実は得意だったのかな……。

起業と両親

阿由葉

起業したいという目標は、いつ頃からあったの?

志立

おそらく、小学校の後半から中学校の前半だと思います。父が「大学生のうちに起業しておくのがいい」と言っていて。本格的に社会人になる前に、経験としてやるといいと。父は大学生の時に飲食店を経営していたんです。かっこいいなと憧れていましたね。父は今も経営者として仕事をしています。

阿由葉

高校はどうするという話になった時、長野高校から早慶に行って在学中に起業してもいいんじゃないかとよく話していたよね。SNSで見る在学中に起業する人はだいたい早慶という感じだったので、「早慶でコネクションつくってやったほうが面白いんじゃない?」と、半ばネタのように話をしていました。

志立

また、両親とも音楽が好きです。芸術系に結構強い家系かもしれません。クラシックやジャズが好きで、ミュージカルやオペラもよく観に行っていました。美術館にもよく連れて行ってもらいました。

阿由葉

ご両親が好きで行くところに、藍さんも同行させていた?

志立

体験させようと思って連れて行ってくれたところも結構あるんじゃないかと思います。私はひとりっ子なので。「いろんなことをさせてあげたいと思っている」と聞いたことがあります。

阿由葉

ご両親との仲も良さそうですね。

志立

普段からよくコミュニケーションをとっていますね。思春期も、反応が若干トゲトゲしていたくらいで反抗期というほどの激しさはありませんでした。反抗できないですね。サポートが本当に深くて、感謝しかないので。両親のサポートがなかったら、私はどうなっていたか分かりません。

まつがくをやめることに

阿由葉

中2の時は、長野高校が第一志望でした。

志立

上田高校と長野高校、野沢北高校で迷っていました。文化祭に行ってみて、雰囲気がよかった長野高校を考えました。

阿由葉

そして、海外の高校を受験するために一旦まつがくをやめることになりました。その時、お母様と藍さんからいただいたお手紙は今も大切に持っています。

志立

ほんとですか! 嬉しい。中2が終わった春休みにカナダのウィスラーへ短期留学しました。軽井沢町と姉妹都市で、中学生10人くらいの交換留学をやっていたんです。それで高校も海外という選択肢が出てきました。

阿由葉

やめる前に、中3の数学の全範囲を1か月でやろうということになりました。もともと使っていた教材を最後までやっちゃおうと。それで三平方の定理まで終わらせて。

志立

だからだったんですね! その後、数学で高得点が取れていて、「なんでだろうな」と思っていたんです(笑)。

阿由葉

海外の高校は北米で考えていた?

志立

北米に限っていたわけではありませんでした。一斉授業が苦手ということを克服する意味もあって中学校に通っていたんですが、やっぱり無理して行っているところはあって。それで、双方向性の授業が活発な高校、プロジェクト型の学習をやっている高校を探しました。

阿由葉

海外留学のための英語の勉強は、どういうことをしていたんですか?

志立

オンラインの英会話と、海外高校志望者向けのハイレベルな英語塾に通っていました。

阿由葉

そして、結果的にはN高に入学しました。

志立

いろんな選択肢を並行して考えていました。海外に行きたいなら、中3に進級するタイミングから準備しないと英語力が間に合わない。とても思い入れがあったからまつがくは続けたかったんですけど、留学準備に振り切らないと無理という状況でした。
海外に出たいというより学びのスタイルを重視していたので、国内でも調べていてN高も面白そうだなと思っていました。結局、コロナで難しくなり海外留学は断念しました。

阿由葉

N高では通学コースを選んでいます。藍さんから見て、上田高校や長野高校との違いはどのあたりにあったんだろう。

志立

長野高校や上田高校は自分の進度に合うから一斉授業でも苦痛を感じないんじゃないかと思っていたんですが、N高はそもそも一斉授業がないんです。授業はオンラインだから、得意なところはどんどん飛ばして、苦手なところはゆっくり自分のペースでできます。東京の高校も考えましたが、日本の高校はアクティブ・ラーニングをうたっていても、結局は学校生活と受験のためにすべての時間を費やす生活になってしまう。それは避けたいと思ってN高にしました。

阿由葉

自分の好きなことを分かっているのも大切だけど、何が嫌かも分かっているのはすごく大事ですね。それに、どこの高校に行こうかとは考えるけど、どういうふうに学びたいかというところまではなかなか考えない。そういう意味では、エイスクールでプロジェクト型学習をみっちり経験したのは大きかったかもしれないですね。

志立

本当にそうです。エイスクールの経験は大きかったと思います。

3. プロジェクト三昧の高校生活

N高の自由度の高いカリキュラム

阿由葉

N高入学当初は、週5日の通学コースで埼玉キャンパスに新幹線通学していたんですね。

志立

人間関係や関わりもほしかったからです。その点では、通信制というより全日制の普通科高校のひとつという感覚で選びました。

阿由葉

学校ではどんな感じで学ぶんですか?

志立

午前中は「プロジェクトN」というプロジェクト学習で、その時興味のあることをひたすらやっていました。午後は、時間割の一部をカスタマイズしてプロジェクト学習する「アクティブラーナー制度」を使っていました。

阿由葉

単位制ではない?

志立

今の話は通学コースで、通信制とは別立てなんです。通信制に通学コースが上乗せされているかたちで、卒業に必要な単位は通信制で完結します。動画を見て解答するのが基本。年に6日から9日、別のキャンパスに行ってスクーリングして、あとは年1回のテストを受ければ終わりです。自分のペースで勉強できますが、先生が細かく介入はしてこないので、自己管理の面でちょっと大変かもしれません。

阿由葉

いろんなカリキュラムがあるから、藍さんのようにやりたいことがある人はとことん深掘りできるんですね。友だちはできましたか?

志立

深い関係の友だち、本音で語り合える友だちが増えたと思います。活動を選択していく生活なので、自分と同じような考え方の子、もっと尖った子、ふつうなら出会えないような子に会えます。それこそ、地域でくくられたら絶対出会えないような友だちもできます。

阿由葉

N高だと本当にいろんな人が集まっていそうだよね。

志立

全校生徒が2万人以上いるので、自分に近い人は必ずいるということはあります。

阿由葉

なるほど。藍さんは、学校のプロジェクト学習以外にも活動をやっていたんだよね。

志立

はい。起業に興味があったのでN高の「起業部」にも所属していました。あとは、エイスクールでもインターンシップをずっとやっていました。

人との協働で成長できた

阿由葉

インターンシップといえば、高2の2月の新聞記事ですね。新聞に載ると聞いて買いに行きましたよ。

志立

エイスクールに取材依頼があって、私が紹介されました。ちょうど、総務省主催の課題解決プログラム「異能(Inno)vation」で受賞したタイミングでもありました。

阿由葉

どんなプログラムだったんですか。

志立

「人類が月に移住したとしたら」というお題で、国籍を問わず価値観の合う人同士をつなぐマッチングアプリ「~Only~ もう1人の自分と自分だけの旅行を」を6人で作りました。これもN高のプログラムです。通学コースだと、そういうことをずっとやっていくんです。

阿由葉

課題がすごいね。めちゃくちゃ頭を使いそうだなぁ。

志立

楽しいですよ。あと起業部で「全国高校生マイプロジェクトアワード」のために別のアプリの開発もやっていました。

阿由葉

他にも!?

志立

教育系アプリですね。私自身、高校進学ですごく迷っていろいろ比較した経験があったので、偏差値とクチコミだけじゃなくて、その人に本来合った進路が広い選択肢の中から調べられたらいいよねというところから発想しました。部活の先輩が行った高校は行きやすいですよね。その先輩を全国につくるとか、自分に似た先輩をたくさんつくるというコンセプトです。

阿由葉

藍さん、素晴らしい発想だね(笑)。とても思いつかないなあ。

志立

(笑)。でも結局、自分が思っていたのと違うものができそうだったので、やめました。

阿由葉

アプリ開発ということは、藍さんもプログラミングができる?

志立

プログラミングはやってみたんですけど、苦手すぎてダメでした。だから私はリーダーになって、できる人を集めてお願いするかたちで10人くらいのチームでやっていました。

阿由葉

他の人と協働するのは面白いですか?

志立

自分ができること以上に多くのことができるのは本当に面白いです。世界が広がって、できないことがある意味なくなる感覚ですね。私は教育に対して、反発とすごくハマった感覚の両面があって思いが強いんですが、人の成長や相互作用でできることが広がったり考え方が変わったりすることが、そもそもすごく好きなんです。そういった面で協働はとても面白いですね。共同生活に最初は苦手意識があったので、その反動ですごく好きになったということもあるかもしれません。楽しさがわかってのめり込みました。

阿由葉

でも、人と一緒に何かやるのは大変なこともきっと多いよね。

志立

思い通りにならないのがつらいです。一斉授業が嫌なくらい、思い通りにならないのが嫌いな人間なので(笑)。でも、だからこそ面白いとも思います。

それに、世界が広がってきていろんな人と関わると、自分の感覚が絶対じゃないこともわかってきます。自分が理不尽に感じることが、最終的にいい道だったというのも経験を積んでわかりました。理不尽や思い通りにならないことを楽しめるようになって、そういうものを理解しようと歩み寄れる成長があったなと感じています。

阿由葉

自分が成長したと感じたタイミングはいつでしたか?

志立

タイミングというより、積み重ねですね。本当にいろんな人に出会って、嫌な思いをたくさんして。でも最終的に俯瞰して見た時に、あの経験はよかったな、成長だったなという感じです。自分が成長した先で、理不尽だと思っていた人と同じ考えになったこともあります。また、エイスクールのインターンシップで自分の昔の姿と似ている生徒を見ると、考え方が変わったなと実感します。高校3年間ですごく変わったと思います。

阿由葉

途中で投げ出したくなることはなかった?

志立

良くも悪くも責任感が強くて、投げ出したくなっても「それは筋としてやっちゃいけない」と思うタイプなんです。キャパオーバーになると完全にシャットアウトしてしまうところはあるんですが。高校時代は自分でいろんな選択ができたので、幸いそういうことはありませんでした。

そういえば、倒れてしまったことはあります。2,3週間、文字通りベッドから動けなくなってしまって。単純な過労で、好きなことをやりすぎていたら体にガタが来てしまいました。

私大の総合型選抜に向けてまつがくに戻る

阿由葉

そして、高2の1月に藍さんがまつがくに戻ってきました。

志立

当時、総合型選抜で立教大学の経営学部に行きたいと考えていたんです。経営に興味があったんですが、評価が高かったのと、これまた講義型ではなくプロジェクト型で学べるというので興味を持ちました。私の周りの友だちからも、いい評判を聞いていたので。

でも、高校の1年半も、小学校で不登校だった時期のように何も勉強していなかったんです。教科書を1回も開かない生活をしていたので、これはマズいと思って駆け込み寺のように戻ってきました。

阿由葉

冗談じゃなく、本当にやってなかったよね。

志立

前と同じ個別指導だと思ったら、アタマプラスが導入されていて驚きました。

阿由葉

そう、アタマプラスで英語をやりました。余裕があれば数学もということで、藍さんは数学が得意だったから「どこまでやれるのかな、伸びるのかな」と楽しみにしていたんです(笑)。アタマプラスはどうでした?

志立

面白かったです。基礎はどんどん飛ばしていきたいタイプなんですが、そこでごまかしがきかないのが逆によかったなと思います。

4. 大学入試に向けて

ギリギリまで分からなかった指定校推薦

阿由葉

総合型選抜のために勉強を始めましたが、指定校推薦の話が出てきました。

志立

あんまり切羽詰まった状況は好きじゃないので、指定校推薦で行けるなら行きたいと思っていました。先生からは、例年の傾向と私の評定と活動から考えると、ある程度いけるのではないかと聞いていました。

阿由葉

面談があったんですか?

志立

面談のように改まった場ではなくて、ふだんから先生とはいろいろ話をしていたので、その中で言われました。ただ、8月の後半くらいまでどの大学のどの学部への推薦があるのか分からなくて。

阿由葉

それが、ふたを開けてみたら早稲田大学の商学部。でも、悩んでいたね。

志立

決め切れていなくて悩みました。私も周りも希望の指定校推薦が取れるとは思っていなくて。とりあえずがんばれ、という感じでした。

阿由葉

ひとりしか行けない枠を勝ち取ったんですね。指定校推薦の試験はどうでした?

志立

志望理由書を提出した上で、面接と小論文がありました。小論文の成績がいいと面接が免除になるんですが、幸い小論文の成績が良くてそのまま合格となりました。

阿由葉

早稲田の指定校推薦が取れそうということで、8月末で英数の指導は一旦ストップしました。その代わり、別の大学の総合型選抜のフォローに注力することにしました。主に作文がメインですね。

志立

出願締め切りが、指定校推薦の校内選考の結果が出る前だったんです。そのサポートを阿由葉先生にお願いしました。

阿由葉

その総合型選抜では藍さんの評価を書いてほしいということで、大学のホームページに入って「こういう子なのでぜひ入れてあげてください」と合計1000字くらいで書きました。

志立

複数の方に評価を書いていただかなくてはいけなかったんです。それで、阿由葉先生とインターン先の先生にお願いしました。

阿由葉

早稲田の指定校推薦は12月に合格しました。総合型選抜で受験した大学はどうなったんだっけ。

志立

出願締め切りが9月2日で、一次は通過しました。ただ、二次の前に早稲田に受かったのでそこで終わりにしました。総合型選抜は合否の基準が分からないところがあるので、他に6校くらい出願していました。

阿由葉

共通テストも受験することになったんだよね。

志立

共通テストの2ヶ月前に大学から受けるように言われました。数学はやっていなかったので、本当にヤバいと思って3日で詰め込みました。

受験指導を飛び越えて

阿由葉

総合型選抜のお手伝いをする時に、高校時代の実績を聞いて驚いたんですよ。異能(Inno)vationとか、まさかそこまでやっているとは思わなくて。だから、今日こうやって改めて話を聞いて、楽しそうでいいなと思いましたね。藍さんのような生徒は、他にいないですから。

志立

ありがとうございます。

阿由葉

藍さんは我が道を、ちゃんと地に足つけて歩いています。生徒全員と夢の話をしてこちらでロードマップをつくりますが、それに沿って自分でしっかり動ける生徒さんばかりではありません。それを考えると、藍さんはすごいと思います。

ふつうの指導だと、短期的には共通テストの点を1点でも上げる、偏差値を1でも上げることを目指していきます。そういうのを全部、藍さんは飛び越えていきました。最初は勉強になかなか自信が持てなかったけれど、克服して進路を叶えてきました。高校に入ったらより拍車がかかっていったので、受験指導というよりは単純に人生の先輩として話すことが多かった気がします。

志立

受験の話はそこまでしなかったですね。

阿由葉

わりとふだんの会話は、将来の話とか雑談的な話が多かったですね。藍さんはコミュニケーション能力が高くて話も面白いんだけど、いつからそうだったの?

志立

小学校や中学校の時は、あまり上手じゃなかった気がします。もともとしゃべるのはとても好きなんです。いろんなことを考えて母によく話をしていました。だから、自分の中で考えている方向性や思考の仕方は正直、そんなに変わっていないと思います。

それが対話となると、相手にちゃんと興味をもってしゃべる、理解しようとがんばるということがあんまりできてなかったように思います。向こうも向こうの人生があって、背景があってという感覚が薄くて、自分の中で処理するのと同じように人の話を聞いていたので。高校の時は、自分の中でそのあたりの課題感を持ってがんばったかなと思います。

阿由葉

それは、大人でもできない人がほとんどですよ!

志立

相手に興味を持って理解しようとして対話するのは、別の言葉で言うと「優しさ」や「思いやり」かもしれません。不登校をきっかけにいろいろひとりで考えることは増えました。自分の思考の仕方は、頭の中で会話するスタイルなんです。相手の目を見て話せるようになったのは自信がついてからで、高校でいろんな人と話したりプレゼンテーションする機会が増えて、こんな風に話せるようになったかなと思います。

阿由葉

さっきも言っていましたけど、高校3年間は本当に大きかったんですね。

志立

そうですね。外に表現する力はすごくついたなと思います。

人の成長や関わり合いに興味がある

阿由葉

大学ではどういうことをしたいですか?

志立

人の成長や変化、関わり合いに興味があります。早稲田の商学部を志望したのも、産業心理学を学びたかったから。モチベーションや人間関係、チームワークにおいて、どう関わり合えば成果が出るのか、ということですね。教育系でそういう活動をしていましたが、それは子どもだけではなく大人にも当てはまると考えた時に、教育は結果が出るまで時間がかかるじゃないですか。会社や組織だったら、成果やゴールが見えやすい。高校の時にチームビルディングを経験して、そこに自分の喜びがありそうだと感じました。そういうところを深く勉強したいですね。

阿由葉

コロナでできなかった留学も考えていますか?

志立

行きたいですね。専攻したい研究は、日本よりもアメリカが先端を行っているので。あとは、成長しているアジアの国で、その波に乗って学んでみたいという気持ちもあります。いろんなところに行きたいですね。

阿由葉

これからの藍さんも、心から楽しみにしています。がんばってくださいね!

 

(取材・文/くりもときょうこ)