卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

中1の冬にまつがく東三条駅前校に入塾した星野一花さんは、文句のつけようのない成績とは裏腹に実は「勉強は大嫌い」と言います。自分のことを負けず嫌いだという星野さんは、持ち前のガッツで苦手な理数系科目を克服していきました。

しかし、中2で起立性調節障害という疾患に見舞われます。学校にも塾にも行けないどころか、ベッドから起き上がることもままならない状態から、家族の支えと懸命の治療から回復し、長岡高校理数科の合格を手にしました。

心身ともに絶不調だったところからどのように高校受験につなげていき、力を発揮したのか。まつがく東三条駅前校の校舎長・円山健志先生とともに、星野さんの高校受験期を振り返ります。

星野さんのタイムライン

中1・1月

中1の冬期講習会後にまつがく東三条駅前校に入塾。教科は英・数・理。atama+を使って、1回120分で週3回通塾、週1回在宅というスケジュールではじめる

2月

学校の定期テストで初めて1位をとる。学校の授業を先取りするペースで学習を進める

中2夏

体調に異変が。体調が悪い中でも定期テストは毎回2位をキープ

1月

起立性調節障害と診断される。朝起きられず学校や塾の欠席が増える

3月

atama+の数学は中3までの予習を完了。高校数学の先取り学習をはじめる

中3・9月

高校の予習を一旦やめて、高校受験対策を本格的にスタート

11月

英検2級に合格

12月

中学範囲の総復習を完了。入試過去問演習に取り組む

2月

私立新潟明訓高校に合格

3月

県立長岡高校に合格。高校の先取り学習を再開する

1. 入塾後1ヵ月で学年1位に

中学に入って成績に不安が

円山

一花さんは三条市立大崎学園という、新潟県初の公立の義務教育学校(小中一貫校)に通っていました。まつがくに入ろうと思ったきっかけから、まず話をはじめましょうか。

星野

定期テストの順位が下がっていたのがきっかけです。1回目の定期テストは2位、2回目は3位と下がってきていて、このままでは高校受験の時に困るなという危機感がありました。それで、冬休みに入るタイミングで塾に行きたいと親にお願いして、いろんな塾に体験で行ってみました。

円山

塾はいくつくらい体験に行ったんですか?

星野

5つか6つ行きましたね。個人塾ではなく、よく名前が知られている中規模から大手の塾でした。

円山

その中でまつがくが決め手になったのは、どういうところだったんですか?

星野

小学生の時に2年間だけ公文式の教室に通っていて、個人のペースに合わせて進んでいけるところが似ているなと感じたんです。授業型の塾はあまり私の勉強スタイルに合っていないと感じていました。あと、円山先生がものすごく丁寧に説明してくださったのも決め手になりました。素晴らしいなと感動して、入ってからもとても分かりやすく教えてくださるので、教室に通うこと自体、すごく楽しみにしていました。

円山

そうだったんですね。照れますね……。そして、1か月後には定期テストで初めて1位を取っています! すごいですよね。

星野

私も驚きました。まつがくが合っていたんだなと思いましたね。

円山

atama+で英語、数学、理科をスタートしました。まずは復習からはじめましたけど、すぐに予習になりましたよね。

星野

1年生で復習の範囲がそんなに広くなかったので、すぐ予習になりました。苦手な理数系に力を入れていました。

円山

atama+は初めてやってみて、どうでしたか?

星野

タブレット学習は学校で少しやってはいましたが、atama+のようなかたちは初めてだったので、とても新鮮でしたね。あと、キャラクターのatama先生がかわいいです。結構ユーモアのある先生で、季節の行事に合わせて、コメントやイラストが変化するんです。

円山

頭の上にみかんを乗せていたりとかね。

星野

いちいち楽しませてくれて、端から端まで楽しかったですね。

ライバルであり友人である同級生の存在

円山

一花さんは中2では定期テストが毎回2位で、1位の人はなかなか抜けなかったんですよね。

星野

すごく勉強ができる子で、その子も長岡高校の理数科に行きました。

円山

ライバルですね。

星野

その子とは、小1から中3まで同じ学校で、でも同じクラスになったことはないんです。中学で仲良くなって、毎日一緒に登校してました。部活は同じ陸上部で、その子は走り幅跳びで、私は走り高跳びをやっていました。相手がどう思ってるかは分からないんですけど、私は勝手にライバルだと思っていました。なんとか抜かしてやるという思いでやってましたね。

円山

彼女は塾に通ったりはしていなかったんですか。

星野

そこがすごいところで、通っていないんですよ。

円山

一花さんの勉強の話に戻します。まつがくで先取り学習をすることで、学校の授業に影響はありましたか?

星野

まつがくでやったところが授業で出てきたら、みんなに教えていました。

円山

周りは素直に「ありがとう」と受け取っていた感じだったんですか。

星野

はい、みんな優しくて自慢させてくれましたね。

円山

一花さんの学年は88人です。3クラスあって、1クラスあたりだいたい30人程度。割とこじんまりしていて、同級生は顔と名前は一致するくらいの感じですね。中学は楽しかったですか?

星野

中3はすごく楽しかったんですけど、中2が病気のこともあって本当に大変でしたね。体も心もいちばん荒んでいました。

2. 病気に苦しんだ中2の冬

起立性調節障害で学校にも塾にも行けない

円山

病気のことについて聞かせてください。 中2の1月に診断が下りましたが、その前から異変はあったんですよね。

星野

中2の夏頃から立っていられないことがたまにありました。秋には倒れるようになって。年明けには朝起きられなくなりました。目は開くんですが、そこから一歩も動けない。とにかく血圧が低くて、立つと卒倒してしまう状態でした。

円山

最初は、「これは何なんだろう?」という感じだったんですか。

星野

最初は、よくある貧血かと思っていました。でも病院に行って血液検査をしても、貧血というわけではない。じゃあ何なんだろう? と思いながら過ごしていたらどんどん悪化してしまって、大きい病院に行きました。それが中2の1月で、その時には呼吸がしづらくなっていて、実際に血中酸素濃度が低くなっていたんです。病院の中でも倒れてしまって、1日中検査をした結果、比較的重い起立性調節障害だと診断されました。

円山

治療はどんな感じなんですか?

星野

血圧を上げる薬を飲んでいました。あとは、とにかく寝ること。体調不良からメンタルにも影響が出ていて、不眠症のようになっていたんです。

円山

それは本当につらかったですね。診断名がつくことで安心するというケースもありますが、一花さんはどうでしたか。

星野

その時は本当にネガティブだったんです。もともと後ろ向きな性格なんですけど、ずーっと下を向いている感じでした。だから、診断された時は終わったなと思いました。

円山

周りに同じような病気の人はいましたか?

星野

後から、同じ中学の中でもうひとりいると知りました。

円山

僕が見ている範囲でも起立性調節障害になる生徒さんはいらっしゃるので、病気としては珍しくはないんですが、一花さんはけっこう重かったと思います。最初は、学校にあまり行けていないという話を聞いていました。まつがくも休むことが増えてきて、来ても元気がなくて体調が悪そうだと心配していたんですよね。でも、そういう時は本当に無理するものではないので。

atama+で進めていた予習に助けられた

円山

そんな中でも、定期テストは毎回受けていたんですよね?

星野

2学期、3学期の定期テストは体調が絶不調でしたが、なんとしてでもと思って受けていました。まつがくで先取り学習していたことが生きました。病気のピークは2、3月で、3月は1週間に1回くらいしか学校に行けなかったです。3月の学校を休んでいる間と春休みに、体とメンタルのケアと治療をすごく頑張りました。

円山

そうだったんですね。そんな中でも、春休みには中3までの予習を完了しています。起立性調節障害は、早くて半年、長いと2、3年くらい回復にかかると聞いていたので、もし長引くようだと受験はいろいろ工夫をしないといけないなと思っていました。だから、中3の4月頃から回復してきたのを見て、よかったなと。

星野

そうですね。本調子ではないですが、良くなってきていました。

円山

まつがくの勉強も、通塾にこだわらず、在宅でもできる時はやってくれていましたね。

星野

体調が良ければ家でやります、というふうにしていましたね。在宅でも同じ勉強ができるのは大きかったです。

家族に支えられる「世界に一つだけの花」

円山

ご病気のこともあったりで、ご家族との関わりもけっこう重要だったのではないかと思うんですが、どんな感じでしたか。

星野

すごく支えてくれていて、本当に感謝しかないです。私はもともと家族大好き、家族ラブな人。家族からもすごく支えてもらっていることは伝わっていて、自分で言うのも何ですが、すごく模範的な家庭だと思います。みんなで支え合って、病気という苦しい壁を乗り越えました。

円山

ふだんからお話を聞いていて、仲の良さは伝わってきていました。あと、親御さんもいろんな趣味を持っていて素敵だなと思っていました。

星野

父はアウトドア大好き人間で、週末は海でカヤックに乗って釣りをしています。先日、いちばん上級の船舶免許を取って、「この免許があればどこの国でも行けるよ」と言っていました。肝心の船がないんですけど(笑)。母もキャンプや山登りが好きで、あと料理やおしゃれも好きなので、私も料理やお菓子作り、おしゃれは大好きです。

円山

お父さんの船は、一花さんがお医者さんになったら買ってあげてくださいね。中1の弟さんはレスリングで全国大会に出場していましたね。妹さんは何歳でしたっけ?

星野

4歳なので、私とは11歳差です。街をふたりで歩いていると、私がお母さんだと思われます。

円山

お母様と面談していても、本当に一花さんのことを信じて任せてくれていることや、支えてくれていることがすごく伝わってきます。受験はやっぱり家族の支えがとても大事で、支えがある子はがんばれます。一花さん自身もがんばってくれていて、ご家族の支えもあるので、こちらもサポートしがいがあります。そういえば、一花さんのお名前はとても素敵ですよね。親御さんがどういう願いを込めたんでしょうか。

星野

母は、私が生まれた時に「いっちゃん」と呼びたいと思ったらしくて、そこから一花という名前にしたみたいです。有名な歌のタイトルではないですが、世界に一つだけの花という意味も込めているのかな。私も自分の名前をとても気に入ってます。

3. 勉強は好きじゃない。でも負けたくない

高校の先取り学習から受験対策へ

円山

中2の3月で中3までの予習を完了して、高校数学の先取り学習を始めました。高校受験対策に移行する9月まで、だいたい半年ですね。

星野

どこまで進みましたっけ?

円山

数Ⅰのぴったり半分より少し進んだくらい。「データの分析」の前までですね。すごくがんばりましたよね。今また、予習をガンガン進めていて、高校の入学式前に atama+の数Ⅰの難易度2までは終わりそうです。

星野

どうでしょう。終わらせられるといいな。

円山

そして、9月から高校受験対策に移ります。今思うと、ちょうどいいタイミングでした。一花さんの勉強の様子を見て、「今だな」と僕の直感で決めさせてもらったんですけど。これより遅かったら、少し不安が残る状態で受験を迎えていたんじゃないかな。一花さん、しっかりちゃんと間に合わせてくれましたね。

星野

はい。7月の受験対策講座にも出ていて、下準備ができていたのも良かったです。

円山

そうですね。理科と社会に不安があったのと、あとはやはり目標が高かったので、数学と英語もやるべき内容を考えるとこのタイミングでしたね。模試もけっこう受けていましたよね。

星野

そうですね。新潟県統一模試が中3だと全9回あり、それを全部受けました。それ以外の模試は受けていません。

円山

長岡高校の理数科に行きたいというのは、いつから考えていたんですか?

星野

中2の夏頃からかな。例のライバルの子は、中1の春から長岡高校の理数科に行きたいと言っていたんです。その時の私は、地元の三条高校で考えていました。ふたりで切磋琢磨していくうちに、もっと上を目指してもいいんじゃないかと思うようになって新潟高校を考えたんですが、ちょっと遠いなと。長岡高校は通いやすくて、上も目指せる。彼女の影響もありますね。

円山

いい形で引き上げられたんですね。

星野

最終的に決めたのは中3の春から夏にかけてです。本格的に受験勉強に入る前に決めました。

ガッツで大嫌いな数学に向き合った

円山

一花さんは最初に出会った時から、話し方に賢さがにじみ出ていて、自分の苦手なところとできるところをちゃんと分かっている人だなと感じていました。でも、勉強は好きじゃないんですよね。

星野

嫌いですね。don’t likeではなくてhateです。特に数学はhateです。

円山

あんなに努力してきているのに!

星野

なんでこんなにhateなのか自分でも分からないです。いちばん時間をかけて勉強しているのに。波長が合わないんでしょうか。

円山

解けた時の達成感や充実感はないですか?

星野

解いてる時は苦しいと感じています。解き終わって正解だったら、達成感もあるんですけど、安心してホッとする感覚のほうが大きいですね。

円山

そばで見ていても、半分謙遜かなと思いつつ、でもやっぱり苦手は苦手なんだなというのは伝わってきます。それをこれだけできるようになるまでガッツを持って取り組んでいるので、本当にすごいし純粋に尊敬できますよ。長岡高校も普通科より難関の理数科ですからね。

星野

自分でも、よく食らいついたなと思います。

円山

そのガッツはどこから来ていると思いますか?

星野

もともと負けず嫌いというのはあります。ここで負けたら死ぬぞ、という気持ちでやっていたと思います。父が体育会系で、自分にも他人にも厳しい人なんですよ。それが私にも移ったみたいで、自分を甘やかすことを忌み嫌うところがあります。だから病気になっちゃったのかなとも思いますが……。自分に厳しくありたいと思っても、逃げたい気持ちは誰にでもあるじゃないですか。そのせめぎ合いで具合が悪くなったと感じているので、それからは考えを改めました。

円山

そのあたりを自分で俯瞰して考えられているところが大きいですよね。なかなかそこに気づけなくて、ただただ困って迷うのがふつうなので。自分で分析して、自分の中で消化してということができているので、やっぱり優秀です。

星野

(かぶせ気味に)ありがとうございます!(笑)

私と勉強の関係は“腐れ縁”

星野

模試の判定は、最初はDやCでした。普通科だとAやSが出ていたんですが。理数科は傾斜配点があるので、理数が……。

円山

理科もちゃんと点数が上がり始めたのは冬からですね。中1からの復習を12月までにしっかりやろうという話をしました。全教科復習して、特に理科、社会ですね。理科、社会は知識系で、もっと点数を上げられる余地があると感じていました。復習の甲斐あって理科、社会の学力が安定したのは大きかったですね。

星野

円山先生としては何か戦略があったんですか?

円山

9月くらいまでは大学受験を見据えて高校の先取りをし、そこからカチッと気持ちを切り替えて一気に高校受験対策を進めていきました。計画としては逆算で、12月から私立過去問を始める必要があって、その前の基礎の総復習に3か月かかるから9月までは高校の予習ができるな。という感じでした。一花さんは、だいたい思った通りにやってくれましたよ。

星野

ふだんはずっと3コマ、120分でやっていたんですけど、受験の対策が始まったあたりから、どんどん4コマ5コマと増えていって。今は春期講習中ですけど、何も用事がない日は14時から20時まで塾にいます。

円山

でも勉強は嫌いなんですよね(笑)。

星野

大っ嫌いです(笑)。本当に嫌いですね。やらなくていいんだったらやりたくない。最高潮に嫌いだった低迷期と体調が悪かった時期が重なっていたんですよ。今は自分の中で整理ができたので、ちょうど良い距離で勉強とは付き合えていると思います。

円山

一花さんと勉強は“腐れ縁”ですね。

おじいちゃんから勧められた「お医者さん、どう?」

円山

長岡高校の理数科志望は、一花さんのお医者さんになりたいという目標とも関係があると思います。お医者さんという目標は、いつ頃から意識しはじめたんですか?

星野

もともと、星野家には何人かお医者さんがいたそうなんです。今はいないので、祖父から「お医者さんどう?」とよく言われていました。両親からも、「やりたいことが決まったらそちらを応援するけど、まだ決まっていないんだったらとりあえず医者を目指したら?」と言われて。なりたいかと言われると、今も「うーん」という感じです。

円山

医者を目指して勉強していれば、そこから展開していくのは比較的やりやすいです。お祖父様も「この子なら」という見込みを感じていたのかもしれないですね。とはいえ、もともと理数系なわけではないから……。

星野

バリバリ文系なので、格闘し続けています。

受験勉強と並行して念願の英検2級に合格

円山

高校受験対策をしながら、同じ時期に英検2級に受かっています。

星野

小2の頃からECCに通っていたので、得意とまではいきませんが、他の人より英語に関しては土台がありました。英検は親に言われて小5からはじめてとんとん拍子で準2級まで合格して、小6の冬に初めて2級を受けたら、「なんだこれは!」と。準2級と2級の間にマリアナ海溝ぐらいの深い溝があって、驚きました。なかなか合格できなくて、そのうちに病気のこともあって自己肯定感が下がり続けたので、一度やめました。中3で回復してから、今度こそ受かりたい、中学のうちに2級を取りたいという気持ちが芽生えて。冬は受験があるので、タイミング的に秋しかないと思ってがんばりました。

円山

面接の練習を一緒にやりましたね。

星野

街で外国人の方に出会うと自分から話しかけに行くくらい英会話は好きですが、あくまで外国人との会話限定。試験の日本人面接官の英語は怖いんですよ。試験なので当然といえば当然なんですが。その不安があったので、円山先生に練習をお願いしました。

円山

中学のうちに2級合格はすごいですよね。

星野

私の中学ではいないです。ライバルの子は、同時期に準2級を取っていました。なので、そこはちょっと誇れます(笑)。

過去問は3周やりました

円山

総復習が終わって、まずは私立の過去問をはじめました。

星野

明訓高校の受験が先だったので。明訓の過去問には結構苦しめられました。

円山

新潟の私立ではいちばんの学校ですから。問題がちょっと特殊ですね。

星野

明訓は受験科目が3教科で、過去問は3教科5年分を3周やりました。今考えると、よくやったなと思います。今やれと言われたら嫌です。

円山

3周やろうというのは僕の提案でした。カレンダーを見て細かくスケジュールに落とし込んでやってもらいました。

星野

ヒィヒィ言いながらやっていましたよ。なぜか分からないんですが、国語はすごく点が取れるんです。1回、模試で100点を取ったことがありました。試験本番も自己採点で90点は超えていて、国語はそんなに困らなかった記憶があります。英語もそんなに困った感じはなかったんですが。

円山

英検2級に比べればね。

星野

数学が本当にダメでした。明訓の過去問はわけが分からないというか、クセが強いというか。特に図形の計算が本当に何もできなくて、すごく苦しめられました。だから、数学を重点的にやっていました。

円山

過去問は、コツや感覚をつかむのが大事です。とはいえ、なんだかんだで最後はできるようになっていましたよ。

星野

おかげで、本番の点数はけっこう良かったです。

円山

2月2日の明訓の入試が終わってから、公立の過去問に取り組みました。

星野

今度は国語がイマイチになってしまって……。

円山

明訓はマークシートで選択問題なので、点が取りやすいというのはあると思います。公立は記述式で、一花さんの場合は大体いいところをつかんでるんだけど、もう一歩ということが多かったですね。

星野

公立も結局、過去問は5教科5年分を2周しました。

円山

2周終えたところで、自分としての手ごたえはどうでしたか?

星野

めちゃめちゃ不安でしたね。理科はどんどん良くなっていたんですが、数学の伸びが良くなくて。数学でどれだけいい点を取れるかという勝負でした。

円山

徐々に学力が上がっていって、できるところも増えていましたが、やっぱり理数科というところの難しさですよね。

4. 受験当日は気持ちの切り替えに救われた

ドキドキが止まらない数学試験

円山

明訓の過去問で苦戦していた数学ですが、公立の入試本番のほうが難しかったんですよね。

星野

めちゃくちゃに難しくてびっくりしました。「えええええーっ」と思って心拍数がどんどん上がるのを感じながら解いていました。

円山

新聞でも、ここ最近では珍しいくらい難しかったと書いてありました。特に後半の問題はほとんどできなかったという生徒も多かったですね。

星野

数学は多分ダメだろうとすぐわかりました。その後、お昼をはさんで3教科控えていたので、気持ちが引きずられたらまずい。お昼ご飯を食べているときに「次は得意な英語だ」と気持ちをしっかり切り替えました。

円山

それはすごい。そのままショックを引きずってしまったら、他も力を出せなくなることは大いにあり得ます。ライバルのお友だちも一緒だったんですよね。

星野

はい、受験番号が近かったです。お昼休憩の時は私語禁止なので、ふたりとも黙々と食べていましたけど、「これからもがんばろうね」と相槌と表情で伝えあっていました。

円山

気持ちを切り替えられた理由のひとつに、内申点のこともあったと思います。

星野

ライバルの子に、通知表の評価の四捨五入でだいたい決まると教えてもらいました。試験が7、内申点が3という割合で、通知表の評価は四捨五入すると全部5だったので、内申点に助けられました。

円山

内申点は、1年のはじめから3年の2学期までですね。病気がマイナスにならなくて本当によかった。

今までできなかったことをいっぱいやろう

円山

公立の試験は3月7日で発表は16日でした。待っている間どうでした?

星野

試験が終わった直後は、「やばいやばい」と落ち着かなかったです。しばらくしてようやく「もう終わったことだから」と落ち着いてきて。入試が終わってから高校が始まるまでの間、今までできなかったことをいっぱいやろうと思い直して、お出かけしたり、スイーツつくったり、絵を描いたりして過ごしました。

円山

スイーツは何を作ったんですか?

星野

ラズベリータルトとか作りました。

円山

美味しそうですね。お出かけはどこに行かれたんですか?

星野

先日は、埼玉県入間市のアウトレットに行きました。長岡高校は私服なので、服を買っていました。

体じゅうから力が抜けました

円山

合格発表の日のことを教えてください。発表は見に行ったんですよね。

星野

はい、あえて見に行きました。15時に紙が貼りだされて。

円山

自分の番号を見つけたときはどうでしたか?

星野

いやぁもう……力が抜けました。「あー、よかった」って。ライバルの子は泣いていました。

円山

さすがの彼女にとっても入試は難しかったんですね。

星野

英語もけっこう難しかったんですよ。だから、みんな数学と英語が不安だったと思うんですよね。彼女は英語がいちばんやばいかもと言っていて、不安だったんだと思います。

円山

お互い、絶対受かっているという確証までは持てない状態だったんですね。

星野

自信満々ではいられなかったですね。でも、彼女の合格はぜんぜん心配してなかったですね。定期テストは500点満点で490点以上取るような人なので。絶対受かっていると思っていました。

円山

合格発表を見て、まず親御さんに連絡して、それから僕にも連絡してくれました。親御さんはどんな感じでしたか?

星野

すごく喜んでくれて、「お祝いだーっ!」と言っていました。

円山

どんなお祝いだったんですか?

星野

当日は焼肉に行きました。その後、親族10人くらいで、みんなの進級祝いや私の合格祝いを改めてやってくれました。医者になることを勧めてくれた祖父も来てくれました。

円山

よかったですね。僕も、一花さんが合格してとりあえず一安心でした。まあ、受かるだろうとは思っていましたが(笑)。

星野

急いで円山先生に電話しましたね。「合格しました!」って言いたくて。本当におかげ様ですね。

医学部を目指す新しい3年間がはじまる

円山

高校に入ってもまつがくは続けてくれることになっています。

星野

はい、円山先生には大学入試まで見てもらいます。

円山

部活は何か考えていますか?

星野

勉強で忙しくなるから最初は入らないつもりでいたんですけど、9割の生徒が部活に入っていて、文武両道こそ正義、という感じだったので入ることにしました。今のところ、語学部という英語でディベートやスピーチをする部活に入るつもりです。

円山

長岡高校はSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)だからか、理数科のカリキュラムはユニークですよね。外部講師の講演もたくさんあって、中でも医学系が多い印象です。

星野

新潟県は医師がすごく不足しているんですよね。だから医学推しなんでしょうか。

円山

大学はどこに行きたいというのはあるんですか?

星野

まだしっかり決めたわけではないんですが、もし行けるならば、新潟大学の医学部かなぁ。

円山

今のところ、医学部という具体的なキーワードがあるので、やることは8割、9割方決まっています。私は、そこを順調にたどっていってくれるようにサポートするだけ。2年生の夏休みくらいまでに高校の範囲を全部終わらせて、そこから共通テストと医学部受験のための勉強に入ります。共通テストの模試は、2年生の時点で7割くらい取れていると理想ですね。2年生の1月、受験1年前の指標で、新潟大学の医学部以外だったら合格できるのが目安です。中1からまつがくに入ってくれて、努力を続けてくれているからこそ描けるロードマップですね。
嫌い嫌いと言いながら、それでもがんばり続けているのは本当にすごいですよ。一花さんのようにきっちりできる能力は武器になると思います。とはいえ、自分のケアもしつつ、自分を追い詰めすぎない程度にがんばってください。そのままやっていってくれたら、しっかり成果も得られると思うので、がんばっていきましょう!

星野

はい! これからもお願いします。

 

(取材・文/くりもときょうこ)