卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

2020年に開校した「長野運動公園校」(長野市)。
その問い合わせ第1号であり、
第1期生となった外谷悠人さん(長野西高校卒)は、国立大学の合格を勝ち取りました。

5ヵ月弱で共通テスト200点アップという驚異的ながんばりは、どのように実現できたのでしょうか。
「自分は臆病なので」と言う外谷さんですが、冷静さを失うことなく、最後は思い切った決断をします。
校舎長の鶴吉雄一郎先生と、外谷さんの受験期を振り返ってもらいました。

外谷さんのタイムライン

2020年6月

長野運動公園校がオープンして5日目にメールで問い合わせ。最初は入塾まで考えておらず、実力診断テストと講座を体験。その後、二度の面談を経て入塾する。アニメのプロデューサーになりたいという夢のために、進路は千葉大学人文学部行動科学科を目標にする
平日は毎日学校帰りに、土日も来塾し膨大な学習量をこなす

8月模試

最初の共通テスト本番レベル模試。全体で3割強の得点

10月模試

学習量は加速したが、精神的にはかなり追い込まれていた。10月の模試までは点数が伸びていく

12月中旬模試

点数を落とす

共通テスト直前

三者面談で、プランA(信州大学教育学部心理科)、プランB(東洋大学)、プランC(関東学院大学)と方針を立てる。が、直前に私大併願(プランB,C)を取り下げる

共通テスト

自己ベスト(入学後最初の模試〈8月〉から200点アップ)を叩き出すものの、信州大学教育学部心理科はE判定
二次試験は国・数・英の中から国語の1教科を選択。過去問を20年分以上、徹底的に解く

合格発表

合格発表の時に、受験学科を心理科から家庭科教育コースに変更していたことが判明。無事合格する

問い合わせ第1号

模試を受けてみたくて

鶴吉

ここ長野運動公園校は、2020年6月1日にオープンしました。悠人くんは問い合わせ第1号なんです。メールを確認してみたら、「6月5日だったのか!」と。オープン5日目のことでした。

外谷

メールに広告が来ていたんです。共通テストの模試が受けられますという内容で、模試は一度受けてみたかったのでいいなと思って。最初は入塾する気があったわけじゃないんです。

鶴吉

だから、最初来た時の警戒感がもう。「絶対に営業は受けないぞ!」という感じが出ていました(笑)。

外谷

この時点では、進路は具体的に決まっていませんでした。力試しと、単純に模試を経験してみたかったんです。

面談で心が動かされる

鶴吉

初回から、お母様も一緒に三者面談しました。

外谷

いちばん印象に残っているのは、鶴吉さんの受験生への熱心な対応でした。初対面の時から真摯に進路のことにも向き合っていただいて、単純に「すごいな」と感じました。まだ志望校は決めていなかったので、自分の夢や興味のある分野を話して、「じゃあ、ここを目指そうか」という話になりましたね。

鶴吉

そうだね。そして、初回の面談翌日に、実力診断テストと講座体験をしたんだよね。

外谷

学校でも勉強はいろいろ教えてくれるんですけど、ここではそこを補完してさらに新しい知識も教えてもらえることが分かって、手ごたえがありました。

鶴吉

塾は初めてではないんだよね。

外谷

中学生の時、高校受験に向けて別の個別指導塾に入っていました。その時も、けっこう充実感がありました。あと、実力診断テストの結果が……そうとうひどかったですね。そんなにいい点は取れないだろうと予想はしていたんですが、数字で突きつけられると、改めて思うところがありました。

鶴吉

それで、2回目の面談をという話になって、将来の夢に向けての「ロードマップ」と、料金の見積もりができた段階で悠人くんとお母様にもう一度来ていただきました。
私はまつがくでの講師歴は長いんですが、東進の衛星予備校としては初めての経験だったので……。ロードマップも、この時は全部手書きでつくったんです。東進の講座を全部調べて、校舎用の講義動画も全部見て、これは分かりやすい、これは分かりづらいと判断して、悠人くんに本当に合うものを見極めていました。ウンウン言って5,6時間はかかったでしょうか。あと、見積もりやロードマップはこちらにとっても“証文”というか、これを生徒さんにやってもらうようにしっかりマネジメントしなければならない証でもあるので、身が引き締まる思いでした。

外谷

軽い気持ちで来たのが、申し訳なく思います。

鶴吉

悠人くん、あとから言ってたもんね。「(受験勉強は)夏あたりからはじめようと思っていたんですよ。まだそのつもりはなかったんですよ」って(笑)。入塾した後に打ち明けられました。

アニメのプロデューサーになりたい

鶴吉

将来の夢は、アニメのプロデューサーだよね。

外谷

はい。もともとアニメや漫画が好きで、自分は0から100まで作り上げる過程に携わりたいと思って。そうなると、全体を見るプロデューサーという仕事がいちばん自分に合っているかなと思いました。

鶴吉

アニメだと、声優やアニメーターに憧れる人が多いから、珍しいよね。

外谷

中学校の時に生徒会長をやっていたんですが、いちばん上の立場は自分が動き回るのではなく、常に全体を見て役割を割り振ったり調整したりするのが仕事だと分かって。そうやってプロジェクトが徐々に進んでいくことに面白さを見出したのが、0から立ち上げる過程に携わりたいと思ったきっかけかもしれません。

鶴吉

それで、最初の志望校は千葉大学人文学部行動科学科という話になったね。

外谷

経営を学ぶ方向も考えたんですが、心理学にも興味があったんですよね。それで、選びました。

先生が心配するほどの「えげつない」学習量

受験生はこういうものと思って

外谷

入塾して、平日は4~5時間、土日は13~14時間くらい勉強しました。今日はしんどいなという日は、少し早めに帰る時もありましたね。

鶴吉

そのあたりは本人の裁量で調整できます。

外谷

高校に入ってから、こんなに勉強したことはなかったですね。だから、体力的にしんどいなと感じるようになってきて。

鶴吉

個々人の学習量をパソコンで確認できるんですが、毎日のように見ていて悠人くんの学習量の上がり具合がえげつなかったんですよね。「だいじょうぶなの?」と確認したんですけど、僕の前ではあまり感情を出さなくて「いや、だいじょうぶです」って。内心では「ホント?」と心配していました。

外谷

自分はあんまり感情が出ないタイプですね。あの時は、突っ走ってしまいました。受験生はこういうものと思っていたので。あとは、環境ですかね。塾に来ると勉強以外やることがないから、やるしかないっていう。

コロナ下の生徒会役員と部活

鶴吉

高校でも生徒会役員をやっていたんだよね。

外谷

はい。高校の生徒会では、監査という役職をやっていました。

鶴吉

校舎のライトアップをやって、新聞に載ったよね。

外谷

コロナで休校になったり文化祭が縮小したりして、「でも何かやりたいね」という話になって。生徒会のコンセプトに、自分たちだけが楽しむのではなく、まわりの地域の人たちを楽しませたいというのがあったので、地域の人たちに見てもらえるものを企画しようということになって、校舎のライトアップをすることになりました。実際に動いていたのは文化祭の実行委員のメンバーです。たくさん反響をいただけたので、実現してよかったです。

鶴吉

弓道部の部活も高3までやっていたね。

外谷

例年なら5月にある最後の大会が、コロナでなくなってしまって、残念でした。

鶴吉

中学までは違うスポーツをやっていたの?

外谷

はい。小学校から中学校までの9年間は野球をしていました。自分の中で9年続けた達成感があったので、高校では違うことをしたくて弓道部に入りました。

8月の共通テスト模試

鶴吉

6月、7月とものすごい学習量をこなして、8月にいよいよ共通テストの模試があって。全体で3割程度の得点で、けっこうしんどかったですね。

外谷

また数字で突きつけられて、「ああ、ダメだな」と思いました。模試の手ごたえは教科によって違っていて、苦手科目と得意科目で分かれました。自分、数学と英語が苦手で、暗記科目の社会が得意なんです。社会は勉強したところが出て、手ごたえがありました。
あと、まつがくで各教科の解き方のコツを教えてもらっていたので、そこは生かせたかなと思います。たとえば、国語だったらこういうところを重点的にやれば問題が解けるといった戦略の部分ですね。独学では、なかなかそこまで行けなかったと思います。

お母さんがキーパーソンに

鶴吉

8月の模試の後、さらに学習量が増えて、かなり疲れが見えてきたんですよ。それでも、声をかけると「だいじょうぶです」しか返ってこない。

外谷

家では、「ダメだ」「これ浪人だな」「違う進路も視野に入れたほうがいいかもしれない」と母に話していました。

鶴吉

お母様が本当に上手に受け止めてくださったよね。

外谷

自分が弱音を吐いても、「もっとがんばりなさい」と追い立てるようなことは言わず、とにかく聞き入れてくれました。母なりにいろいろ進路のことを調べて、自分にいろいろ提示してくれて。「こういう道もあるから、死にそうなほどつらいなら、そんなにがんばらなくていい」って。

鶴吉

お母さん、優しいね。悠人くん、知らないでしょう? たまにお母さんから電話をいただいていたこと。悠人くんの家での様子とかを教えてくれていたんです。悠人くんがまつがくで勉強している時に、こっそりお母さんがいらして、面談したこともあったんだよ。

外谷

初めて聞きました。母は自分には一切言わなかったです。

鶴吉

お母さんも心配はしていたんだけど、息子にはそういう姿は見せたくないと思っていたようですね。ただ、お母さんもしんどかったはずです。全部受け止めていたので。それでも息子にそれを見せないのは、本当にすごいことだと思いますよ。この時期は、お母さんが文字通りキーパーソンでしたね。

外谷

母も父も穏やかな人で、いろいろ言われたことがないんです。入塾の時、金銭的な面で自分はためらいがあったんですけど、父も母も「自分のやりたいようにしなさい」「お金のことは全然気にしなくていいから」と言ってくれて。それでもやっぱり考えてしまったんですけど……。これまで何不自由なく育ててきてもらってお金もかかっているだろうから、申し訳ないと考えちゃうんですよね。まわりのクラスメイトや友だちも、そう思っている人は多いと思います。

鶴吉

クラスメイトや友だちとはどういう話をしていたの?

外谷

受験期は友だちもナーバスになっているので、受験や勉強の話より、気分転換になる楽しい話をしていました。推薦入試とかで進路が決まっている人も出てきていて、勉強がつらく感じる時にはうらやましく思うことはあったんですけど、それでもそれがプレッシャーやダメージになるとかはなかったです。進路が決まったなら、それはそれでおめでたいことだし。偶然なんですけど、自分がいたクラスは9割が一般入試を目指していたんですよ。担任の先生も驚いていました。そして、進路が決まったから学校に来なくていいじゃなくて、ちゃんと学校来て勉強しようと。先に進路が決まっても、一緒に勉強する方針でした。

鶴吉

それは大きかったね。秋頃になると、クラスの中で進路が決まる人と共通テストや一般入試に向けて追い込みをかけなきゃいけない人に分かれてくるんだよね。それで心が折れそうになる人もいるから。

持ち前の慎重さと想定外の大胆さ

12月模試の衝撃

鶴吉

8月の模試からさらにがんばった成果が出始めて、10月までは点数が上がっていたんだよね。それが、12月の模試で点数を落として。

外谷

単純に自分のがんばり不足です。

鶴吉

そう言うけど、悠人くんの学習量が下がっているとは感じなかったよ。実を言うと、悠人くんの同期5人全員が12月の模試で下げていたんです。最大で150点落としている人もいたくらいで。模試の難易度が上がって、それは本番でベストが出せるように引き締める意図があるからだと思うんだよね。ただ、気持ちが引き締まる人もいるけど、心が折れてしまうリスクもある。

外谷

自分は精神的につらかったです。

鶴吉

もうここまで来たら、こちらとしては励ますことしかできなかったですね。やることはやっているから、これ以上がんばれと追い込むのは本人を壊すことになってしまうので。悠人くんは、それでも冬休みは毎日教室に来ていたね。

外谷

もうラストスパートの時期だったので。毎日、たんたんとこなすしかないというか……。ここまで来て奇をてらった行動をしても意味ないし、そういうことをする度胸もないので。

鶴吉

とても冷静だった。

外谷

もともと感情の起伏が乏しいということもあると思うんですけど、臆病な性格なので。新しい挑戦があんまりできなくて、それがこの時はたまたま、精神の安定というか「このままがんばろう」という方向に作用したんだと思います。

父の言葉で「国立1本」に

鶴吉

共通テスト前にいよいよ最終的な進路を決めました。当初の志望校だった千葉大は難しいねという話になって、信州大学が浮上してきました。あと、私立をどうするか。そこで、東洋大学や関東学院大学の名前が出てきて。でも、そのあとに衝撃が……。国立1本に絞って、滑り止めを全部切ったんだよね。

外谷

共通テストの直前に決めました。自分は不器用な性格で、共通テストに向けた勉強と、国立の二次と、さらに私立の併願対策となると無理だなと思って。その時はじめて父が「そんなことやるくらいなら、腹くくって国立1本でやれ」と言ったんですよ。ふだんいろいろ言わない人で、受験期を通して言われたのはこの一言だけでした。

鶴吉

私の心はかき乱されましたよ。模試での信州大学教育学部心理科の判定はE判定だったんです。さらに、悠人くんには伝えてなかったけど、東進の判定ではF判定だったんだよね。だから、「ここまで望みがないのに、私立併願を全部切るのか!」と。槍だけ持って機関銃の前に飛び出すみたいなものですよ。

外谷

父の言葉で、正直、「もう私立入試の勉強をしなくていいんだ」とホッとした面もあります。もちろん浪人はしんどいなと考えていましたが、落ちたら仕方ないなと吹っ切れて。

鶴吉

私がこの時期、悠人くんから聞いていたのは、ご家庭のことなんですよ。金銭的に私立大は厳しいと。

外谷

自分、言っていましたね。

鶴吉

お金のことは大事なことです。国立1本にすることを決めてからは、では二次をどうするかという話になりました。信大の教育学部の二次試験は、英・数・国の中から1教科選びます。悠人くんからはどれで勝負するかと相談があって、客観的にいちばん安定しているのは国語ではないかという結論になりました。かなりがんばったよね。

外谷

国語に絞って、過去問を20年分やりました。

自分で決めた学科変更

鶴吉

国立1本に絞ったのも衝撃だったけど、最後の最後で実は微妙に進路を変えていたというさらなる衝撃が……。

外谷

これはもう自分の落ち度で……。

鶴吉

落ち度じゃない、れっきとした“戦略”ですよ。

外谷

鶴吉先生に報告できなかったのは、自分の臆病なところが出てしまったからです。このことは、今でも後悔しています。

鶴吉

共通テストのあと、いろんな大学で悠人くんの判定を調べていたんですよ。そうしたら、信大の家庭科教育コースだけD判定だった。そのことは頭の片隅に残っていました。ただ、本人から何も報告がないので、予定通り心理科で受験しているだろうと。進路を変えていたのが分かったのは、合格発表の時でした。心理科では受験番号がないんですよ。もしやと思って他の学科を見ていたら、「あれっ? 家庭科教育コースに番号がある!」。だから、最初は不合格だと思ったんです。

外谷

家庭科教育コースにしたのは、合格の可能性のためだけではありませんでした。母が給食員として働いていたことに影響を受けて、自分の幼い頃の夢は料理人だったんです。だから、そこに戻ったのかなと自分では思っています。と言っても興味があるのは料理で、裁縫とかはそうでもないんですけど……。

鶴吉

ひとつだけ安心材料としてあったのが、二次試験のあとの悠人くんの言葉です。「会心の一撃でした。今までにないくらいできました」と言っていたよね。そういえば、信大に成績開示は申請したの?

外谷

気づいた時には、手続きの期間が過ぎていました(笑)。

鶴吉

何点取れていたんだろうね。D判定は合格率40%なわけだから、そうとうな逆転劇ですよ。

外谷

点数が取れている感覚はすごくありました。「問題はこういう形式だから、ここから解いてこういうふうにやっていく」というのが、20年分の過去問を解いて染みついていたので、戦略的な部分で安心感をもって受験に臨めたことも大きかったと思います。

鶴吉

過去問演習の成果だね。過去問が、いちばん点数が上がるんですよ。基礎ができた上での話にはなるんですが。最後の進路変更は、本当に正しい選択だったんですよ。入らなければ何にもならないわけだから。勝負どころで踏み込めるかどうかで、悠人くんは正しい判断をしたと思いますよ。

この場所から夢へ向かう

先を見ながら歩む大学生活

鶴吉

大学生活はどう?

外谷

家庭科教育コースの1年生は15人前後で、うち男子が自分を含めて2人います。今は、授業は一般教養が主で、やっぱり興味があるものを選んで学べるのは面白いですね。特に、経営や経済の分野、心理学、文学作品の3つが面白いです。

鶴吉

部活は弓道にしたんだっけ。

外谷

はい。高校の弓道部が最後の大会がなくなって不完全燃焼だったので。弓をひくのが好きだったから、久しぶりにできて嬉しいです。ただ、来年からキャンパスが変わって弓道部を続けるのがしんどくなるから、どうしようかと考えています。

鶴吉

今は松本キャンパスで、ひとり暮らししてるんだね。自炊もしてるの?

外谷

はい。

鶴吉

専門だもんね。

外谷

でも、ひとり暮らしはもういいかなっていう心境です(笑)。

夢に向かうための修正プラン

外谷

大学には入りましたが、ここからアニメのプロデューサーという夢までどんな風に近づけていこうか、という話も鶴吉先生としましたね。

鶴吉

そうですね。まずは英語をやること。それから、プロデューサーは資金調達と人材確保が主な仕事だから、いちばん適職は経営コンサルタントだろうと。まずそこに到達するために、次の大学院が勝負になるという話をしたね。

外谷

なので、大学院には行くつもりでいます。

鶴吉

経営コンサルタントは学歴という看板も重要になってくるので、それなりに名前が通ったところに行く必要があるんですよね。理想は、早稲田や慶應の大学院。だから4年間、専門もやりつつ、英語と経営・経済関係の勉強は深めてほしいと思います。

外谷

経営や経済は一般教養の授業で学んでいます。英語は、大学に入るまではTOEIC向けの教材をやって、入学後は信大がパソコンでできるTOEICの勉強コースを提供してくれているので、それをやっています。

鶴吉

悠人くんが夢に向かってブレずに着実に進んでいるのは嬉しいですね。TOEICも結果がだいぶ出てきているでしょう?

外谷

そうですね、1回目のスコアが500ちょっとで、今2回目の結果待ちです。

鶴吉

信大全体のTOEICの平均スコアは400なんですよ。1回目ですでに上回っていますから、素晴らしいですよ。

誇りに思う

鶴吉

模試の得点が全体の3割というところから、よく合格をつかみとったね。共通テストは200点アップという驚異的な伸びで、自己ベストの成績だったよね。ふつうは、半年でここまで伸びないですよ。せいぜい数十点です。1年で100点、最大で150点と言われていますから。

外谷

社会に出たら、こんな苦しさの比じゃないだろうから……。父は運送業で軽バンを一日ずっと運転しっぱなしなんですけど、夕方帰ってくると疲れた姿でいることもあって。両親が働いている姿を見ていて、お金を稼ぐって大変だなとずっと感じていました。

鶴吉

どの職業を選んでも、多分苦しさは変わらないと思う。どこかで壁にはぶち当たるだろうし。だからこそ、大変だとしても自分が望んだ道、自分の意思で選んだ道なら耐えられると思うんです。こうなりたいっていう、夢を持てるじゃないですか。

外谷

そうですね。受験期の真っただ中は、こんな苦しい思いはしたくないと思っていましたが、今となっては、通過点としてこういう苦しい経験をするのも大事なことだったのかな。いろんな経験ができた、充実した1年だったと思います。

鶴吉

私自身も同じように成長させてもらったなと感じていますよ。見守る、支えるというのは、こうもしんどいかと改めてよく分かりました。
それと、悠人くんを含めた1期生が、この長野運動公園校の基本をつくってくれたと思っています。そんなメンバーは、私たちにとって“誇り”なんですよ。

 

(取材・文/くりもときょうこ)