卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

飯⼭⾼等学校の藤巻仁さんと⼭﨑優⿓さんは、⼩学校からの幼馴染。
藤巻さんは横浜国⽴⼤学(以下、横国⼤)の教育学部、⼭﨑さんは新潟⼤学理学部を⽬指していました。学校推薦、共通テスト、併願の私⽴⼤、⼆次試験と対策を粘り強く続け、第⼀志望の合格を⼿にします。

⾼校の⾃習室で勉強してからまつがくに通い、閉室時間を過ぎても先⽣に質問をしていたふたり。
「お互いがいたからがんばれた」という、理想的な関係性が受験期を⽀えました。
それぞれの合格へのルートを、校舎⻑の⼤内隆弘先⽣と3⼈で語り合いました。

藤巻仁さんのデータ

●出⾝校/⻑野県飯⼭⾼等学校探究科 ●将来の夢/⼩学校の教師になる

⾼1・4月

まつがく飯⼭駅前通り校に⼊塾。atama+で数学と英語を予習ペースで進める

⾼3・6月

部活の遠征先でもatama+を使って学習を進める

7月

部活を引退し、本格的に受験勉強をはじめる。横浜国⽴⼤学のオープンキャンパスに参加してモチベーションが⾼まる

11月

atama+の応⽤問題をはじめる

1月

共通テストでは⾃⼰ベストの点数を取る。国⽴前期試験に向けて⼩論⽂と⾯接の対策をしながら、併願私⽴⼤の対策も並⾏して進める

2月

・併願として神奈川⼤学、近畿⼤学、⻘⼭学院⼤学を受験(神奈川⼤学、近畿⼤学に合格)
・横浜国⽴⼤学教育学部の前期試験

3月

横浜国⽴⼤学に合格。⼤学で学ぶ内容を⾃分なりに学びはじめる

⼭﨑優⿓さんのデータ

●出⾝校/⻑野県飯⼭⾼等学校普通科 ●将来の夢/⼤学院への進学を経て理論物理学者になる

高2・8月

まつがく飯⼭駅前通り校に⼊塾。毎週⽕〜⼟に通塾して1⽇2〜3時間学習するペース

高3・5月

atama+で物理をはじめる

6月

・志望校を新潟⼤学理学部に決め、学校推薦型選抜を狙う。科⽬は数学と物理に絞る
・部活を引退して本格的に受験勉強をはじめる

7月

7⽉の模試から物理の偏差値が上がりはじめる(⾼2で偏差値42→⾼3の7⽉で偏差値56.9)

9月

学校推薦型選抜に向けて提出書類や⾯接などの対策を本格化

10月

3年分の過去問に取り組む。模試では点数が取れていたが、前年の過去問が思うように取れず焦りを感じる。この時点で偏差値68まで伸びる。⾯接対策として専⾨書を読みはじめる

11月

・⾯接が完成の域に
・新潟⼤学理学部物理プログラムの学校推薦型試験本番。終了後は私⽴⼤対策の数学をはじめる

12月

新潟⼤学に合格

1月

共通テストも受験

1. 相⼿がいたからがんばれた

まつがくが学習のペースメーカーに

⼤内

藤巻くんと⼭﨑くんは⼩学校が同じで、その頃からの友だちですね。中学もクラスは違っていたけれど家が近いから遊んでいたと聞いています。ふたりとも飯⼭⾼校に⼊学して、⼭﨑くんは普通科、藤巻くんは探究科です。藤巻くんの⽅が先に、お⺟様の紹介で⼊塾しました。

藤巻

⾼校1年の時に、⼤学受験に向けて勉強できる環境が欲しいと思って塾を探していました。その時に⺟が勧めてくれたのがきっかけです。他のお⺟さんからクチコミで「まつがくいいよ」と聞いたみたいです。実際に⼊塾してみるとatama+があって、これは結構良さそうだなと感じました。あと、週に何回通ってもいいというのもよかったです。最初は⽕曜⽇だけにしていたんですけど、毎⽇来ていいという話を聞いてからは、ほぼ毎⽇来ていました。

⼤内

藤巻くんは野球部に⼊っていました。

藤巻

だいたい20時半くらいに部活が終わるので、すぐに着替えて、チャリを漕いで5分くらいでここに着きます。それから21時半くらいまで勉強して帰っていました。部活が早く終わる⽇は18時頃に来ることもありました。

⼤内

最初はね、時間内に終えて帰っていたんだよね。

⼭﨑

ふたりで⼤内先⽣を道連れにしていたよね。21時25分のはずが21時40分を過ぎて……。

⼤内

そこからさらに21時45分に延びて、ふたりと僕が最後残るのが恒例になっていました。おたがい幼馴染で気⼼は知れていて、それぞれ⽬標もある。相⼿がいたからがんばれたというのはあっただろうね。

藤巻

それはありますね。

⼭﨑

ひとりでがんばる感じだったら、ちょっとしんどかったかもしれません。

⼤内

藤巻くんは数学と英語をatama+でやって、学校の授業の予習ペースで進めていました。学校の授業や定期テストにいい影響があったという実感はありましたか?

藤巻

まつがくで勉強する以外に勉強時間が取れなかったので、ここで予習できたおかげで定期テストは楽でした。

⼤内

野球部の遠征先でも勉強していましたよね。

藤巻

野球部にいた探究科の友だちと⼀緒に。ミーティングが終わった⾃由時間に、宿泊先のロビーみたいなところでほぼ毎⽇、ふたりで勉強していました。

⼤内

⼭﨑くんは⾼2の8⽉に⼊塾しました。

⼭﨑

受験も意識していたんですけど、2年⽣からはじまる物理の授業についていけなくなるのが⼼配だったのが理由でした。物理と苦⼿な英語もやりたいと思っていたら、藤巻くんがまつがくのことを教えてくれました。

⼤内

当初はatama+で数学と英語、物理をやっていました。物理は、ついていけていないという感覚が解消したのはいつ頃ですか?

⼭﨑

最初は前の授業で終わった単元をやる復習ペースだったんですけど、2年の3学期から3年のはじめ頃から授業に追いついて予習ペースになったので、楽になってきました。

⼤内 

数学と英語はどうでしたか?

⼭﨑

英語はあまりできなくて、数学はそこそこという感じでした。学校の授業で定着しきれていないところが固まってきた感覚はありました。

化学だと思っていたら物理だった

⼤内

⼭﨑くんは⾼3の6⽉頃に、新潟⼤学理学部を学校推薦で受験する⽅針が固まりました。

⼭﨑

⾼校でお世話になっていた理科の先⽣の⺟校が新潟⼤学だったんです。その先⽣は化学科出⾝で「いいところだよ」と教えてくれて。⾃分が学びたいことは化学ではなく物理の領域だと分かってから物理学科に変えたんですが、そこで学校推薦の話が出ました。

⼤内

たしかに最初は化学だったよね。

⼭﨑

原⼦や電⼦などの⼩さなものに興味がありました。化学の授業でやるので化学だと思っていたんですが、物理学の領域なんですよね。

⼤内

そこもやはりその理科の先⽣がきっかけになった?

⼭﨑

授業後にワークを解く中でどうしても引っかかることがあって、理科の先⽣に聞きに⾏ったんですけど、「⼤学以上の話になるから、今はとりあえず飲み込んでくれ」と⾔われて。それで⾃分で調べていくうちに、素粒⼦やニュートリノの話に⾏き当たって、そこから物理に興味が出てきたという流れです。

⼤内

藤巻くんの将来の夢は学校の先⽣です。志望校は⾼校の先⽣がきっかけになったようですね。

藤巻

⾼校に横浜国⽴⼤学出⾝の先⽣がいて、その先⽣にオープンキャンパスの⼿続きでお世話になりました。実際に⾏ってみたら雰囲気がとてもよくて、ここで学びたいという気持ちが強まりました。その先⽣は野球部の顧問で、社会科の先⽣でもありました。授業も部活も担当してもらっていて、進路を決める時もお世話になったのは⼤きかったです。

受験勉強が本格化した⾼3夏

⼤内

ふたりとも⾼3の6⽉や7⽉に部活を引退して、受験勉強を本格化させました。学校の⾃習室で勉強してから⼀緒にまつがくに来ていましたよね。ふたりとも、「Studyplus(スタディプラス)」という学習管理アプリを使っていましたね。

⼭﨑

俺は密かに競っていました。おたがいのデータが⾒られるので、「こいつ、こんなにやってる」と思ってがんばるみたいな。

⼤内

受験勉強が本格化してからは、⼭﨑くんはまず物理を固めていました。

⼭﨑

河合塾が出している『物理のエッセンス』という参考書をやっていました。上巻を夏休み前に終えて、夏休み中に下巻を終わらせるのが⽬標でした。

藤巻

僕はこの頃、atama+の数学をずっとやっていた記憶があります。

⼭﨑

数学、めっちゃやってた。俺よりやってたもん。

藤巻

数学はずっと苦⼿だったから。学校のテストは範囲が狭いので何とかなっていたけど、受験は本当にどうにもならなくて。7,8⽉は、何にもできないなということを痛感していました。

⼭﨑

たしかに苦労してたよね。

⼤内

数ⅠAは伸びたので⼀旦やめて、数ⅡBに⼊ったんだよね。そうしたら、数ⅠAが下がって数ⅡBはそのままという。数学は11⽉ぐらいまでやっていたよね。とはいえ、英語も⻑⽂はやっておきたいよねということで、そちらもやって。そして、ふたりとも夏休み前から「駿台atama+共通テストAI特訓」もやってもらっていました。

2. それぞれの苦闘

来なくなってもあえて構わなかった

⼤内

⼭﨑くんは学校推薦だから物理に特化して、合間に他の教科をやる感じでしたね。

⼭﨑

英語で挫折して、⾼2の3⽉から⾼3の4⽉にかけて物理に特化することにしました。といっても、学校推薦の物理が合格レベルまで仕上がったのは直前でしたが。学校推薦は、事前に提出する調査書と⾯接、物理の学科試験でした。調査書100点、⾯接100点 、2時間の学⼒試験が300点で合計500点満点。

⼤内

志望理由書は夜の22時半まで残って書いていました。

⼭﨑

志望理由書は指定の⽂字数が中途半端に短くて、どう書けば伝えられるかを、⼤内先⽣と⼀緒にすごく悩みながら書きました。先⽣には残業してもらうことになったけど……。

⼤内

受かってもらえればもうそれでいいという思いでした。がんばった成果が出てきて、7⽉の模試から物理の偏差値が上がりはじめました。8⽉には基礎固めが終わって、9⽉から⾯接練習。

⼭﨑

⾯接は超苦労しました。そもそも⼈⽣初めての⾯接で勝⼿がわからなくて、最初はガチガチで⾔うことが全部⾶んでしまって。学校の先⽣にも、⼤内先⽣にも⾯接練習をたくさんやってもらって、最後ようやくかたちになってきました。

⼤内

学校の先⽣もかなり付き合ってくれたよね。

⼭﨑

理科の先⽣ほとんど全員にやってもらっていました。専⾨的な質問に対応するにはどうしても理科の先⽣に練習をやってもらわないといけなくて。⾯接対策のために素粒⼦やニュートリノなどの専⾨書も読みました。

⼤内

僕との⾯接練習は、最初から最後まで実践形式でした。⾯接は、あらかじめ何を聞かれるかは分からないので、とっさに⾔われたことにどう答えられるかという勝負です。

⼭﨑

⾯接は通算2か⽉くらいやっていましたね。本番まで残り2週間という時期が⼀番メインでやっていたかな。練習の間隔がどんどん狭くなって。

⼤内

10⽉からは学校推薦の過去問を3年分やりました。

⼭﨑

2年前、3年前の問題はわりと取れて、この調⼦でいけばよさそうと⼿ごたえがあったんですけど、去年の問題が異様に難しくて苦戦しました。問題の出し⽅などが変わっていて、今年もこんな感じだったらどうしようと焦りました。

⼤内

それで別の参考書もやっていたよね。

⼭﨑

『物理のエッセンス』のあとにひとつ上のレベルの参考書『良問の⾵』をやっていたんですが、それでも対応できないと感じて、最後の数か⽉は河合塾でいちばん難しい『名⾨の森』をやりはじめました。

⼤内

⼭﨑くんは、物理は学年で1,2を争うほどいい成績で安定してきていたけど、最後まで悩まされました。

⼭﨑

本当に悩みましたね。⼤丈夫かなという不安が最後まで残りました。

⼤内

そういえば、⾼3の7⽉のはじめ頃、まつがくでやった駿台模試の結果が悪くてショックでしばらく来なくなったことがあったよね。

⼭﨑

3年に⼊ってから偏差値は55前後で安定していたんですけど、この模試は難しくて偏差値がガクンと落ちてしまって。

⼤内

駿台atama+AI特訓の模試はすごくよかったんだけどね。この時の駿台模試は確かに難しかった。

⼭﨑

って信じたいけど(笑)。

藤巻

この時は、「今⽇、(優⿓は)いないんか」というのが何⽇も続いたよね。でも、⼩学校からそういうことはあったから。

⼭﨑

(笑)

藤巻

あんまり構うべきじゃないというのも分かっていたので、そっとしていました。

⼭﨑

わかってるじゃん。

学校推薦は不合格だったけれど

⼤内

藤巻くんは、秋は国語と社会の地理公⺠の対策を参考書で進めていました。

藤巻

まつがくでもよく借りていましたね。最終的には「勝⼿に持ってっていいよ」と⾔われていました。

⼤内

11⽉からはatama+の応⽤問題に⼊りました。これも初めてではなくて、2周⽬だったんだよね。

藤巻

ここから⾯接練習もはじまったんですよね。

⼤内

藤巻くんも横国⼤の学校推薦に挑戦したからね。

藤巻

共通テストの対策をしつつ、学校推薦の⾯接と⼩論⽂の対策をやっていました。学校推薦の試験は11⽉で12⽉の頭に結果が出て、落ちてしまって。

⼤内

ふたりとも11⽉頃は結構しんどかったんじゃないかな。

⼭﨑

俺は調⼦よかった感覚です。3年の7⽉あたまの駿台模試で落ち込んで以降、物理の学⼒⾃体はずっとウナギのぼりでした。

⼤内

藤巻くんの学校推薦試験は⼩論⽂がありました。それまで、⼩論⽂はほとんど書いた経験がなかったよね。

藤巻

そうですね。はじめたのが10⽉はじめで、同時に社会や理科とかやることが増えたので、結構きつかったです。しかも、学校推薦の過去問は3年分しかなくて、⾃分で問題を調達してやるほどの余裕もなくて、⼩論⽂はあまり書けるようにならないうちに本番を迎えてしまいました。不合格でへこみはしたんですけど、やらないといけないことがひとつ減って共通テストだけ考えればよくなったので、勉強に集中できました。

プレッシャーを乗り越えて

⼤内

⼭﨑くんの推薦試験当⽇は、感触がけっこうよかったんですよね。

⼭﨑

学科試験は⼿ごたえがありました。⼀問だけ分からない問題はありましたけど、時間が20分ぐらい余るほどでした。⾯接ではちょっと失敗したかなという部分はあったんですが、試験が終わった直後は合格を確信していました。それが、学校の先⽣と話しているうちにテストのミスに気づいてしまって、合格発表までの1週間は瀕死の状態に……。9割は絶対固いと思っていたのに、8割ぐらいしか取れていなんじゃないかとトーンダウンして。

⼤内

学校推薦の試験のあとは、私⽴対策をやるはずだったんだけどね。

⼭﨑

その頃には物理はほぼ完成していたので、あとは数学次第だから私⽴対策の数学をやろうとしていたんですけど、その1週間はまったく⼿につかなくて。勉強していると、⾯接や試験のことを思い出してしまうんです。

⼤内

「今⽇は集中できないんで、帰ります」と、暗い顔で早退していました。

⼭﨑

こんな状態で勉強しても意味ないかなと思って。1週間経ったらわかるから、ここはあえて休もうと割り切っていました。合格した時は嬉しかったですね。

⼤内

合格後は共通テストの勉強をして、共通テストのあとは⼤学の物理の勉強をはじめていたよね。

⼭﨑

受験料ももったいないし、共通テストまでは⼀応やるかという感じでした。そんな⾵に適当に やっていたせいで、得意の物理の点数もあまりよくなくて……。共通テストのあとは、⼤学で最初に出てくる⼒学の勉強を先取りしようと、専⾨書を買って独習していました。

⼤内

受験が終わっても勉強し続けるということは、本当に好きなんだね。

⼭﨑

すごく楽しいです。さすがに勉強のペースは落ちてきましたけど。

⼤内

それは仕⽅ないよ。⼭﨑くんが先に合格して、藤巻くんの当時の⼼境はどうでしたか?

藤巻

共通テストまでの1か⽉は、あっという間でしたね。前⽇はノートや参考書を⾒返して、いざ寝る時間になってもその内容がずっと頭の中を駆け巡って、寝たのは2時か3時でした。

⼭﨑

前⽇はマジで寝られないよね。

藤巻

本番は、⽇本史と英語が難しく感じました。毎回模試ではこの2教科で点を取っていたので、へこみました。翌⽇の数学は点取れないからいいやと開き直ったら、夜すごく熟睡できました。

⼭﨑

⼀周回った感じだね(笑)。

藤巻

熟睡したおかげか頭がすごくすっきりして、苦⼿な数学もできたような気がしました。

⼤内

実際、共通テストの得点は⾃⼰ベストでした。

藤巻

得点率は73%ぐらいで、横国⼤のボーダーライン(合格可能性50%)でした。チャレンジできるけど安全圏ではない。模試では横国⼤の教育学部はE判定以外⾒たことがなかったんです。

⼤内

⼆次で挽回できる可能性は⼗分あるという感じだったね。

3. ベストを尽くして

浪⼈してもいいかな

藤巻

前期試験の内容は、⼩論⽂と⾯接でした。

⼤内

⼆次試験までの40⽇ほど、僕ともうひとりの先⽣と、ずーっとやっていた記憶があります。⼩論⽂は「個別試験対策パック」で、指導はまつがくの他の教室の先⽣だったので、⾃分は問題を印刷するのがいちばんの仕事。

⼭﨑

ずっと悩んでいる課題があったよね。

藤巻

⼩論⽂で数学の授業をテーマにした問題があって、苦⼿な教科だし、授業するなんて考えてなかったので。

⼤内

⼩論⽂は、⼆次試験の時はけっこうがんばったよね。

藤巻

教育に関するネタや、相⼿に伝わるような書き⽅といった基本から勉強しました。学校推薦で不合格だったのも書き⽅が良くなくて勉強不⾜だったと改めて分かったので、この時はきっちり勉強しました。

⼤内

1⽇1,2本のペースで書いていたね。担当の先⽣が結構厳しめで、どんなに提出してもCマイナスからCプラスで動かない。直して2回、3回出してようやくAがもらえる。1回でAをもらえたのは、後半1回かな。

藤巻

直前でしたね。最初のほうはひどかったです。評価を⾒てがっかりするんですけど、アドバイスが的確で直すところがはっきりしていたので、ありがたかったです。

⼤内

本当によくがんばりました。⾯接も1⽇1回はやっていたかな。そして、併願の私⽴⼤。

藤巻

共通テスト利⽤が2校、⼀般⼊試は⻘⼭学院⼤学でした。共通テスト利⽤は両⽅受かったんですけど、⻘学は対策不⾜もあって落ちました。結局、私⽴⼤の⼊学⾦は⽀払わないままで。

⼤内

それを聞いた時はびっくりしましたよ。

藤巻

1年くらい浪⼈してもいいなと思うようになっていたんですよね。

LINEに既読はついても返信がない!

⼤内

2⽉に⼆次試験本番を迎えました。

藤巻

終わった直後は、もうこれ以上できないくらいベストを尽くしたと思ったんですけど……。

⼭﨑

俺と同じか。

藤巻

⼤内先⽣と話しているうちに、もしかしたら⾯接の受け答えや⼩論⽂の書き⽅がわかりづらくて評価が下がるんじゃないかな、とネガティブになってしまって。倍率も⾼かったし。それでも、なんとなく受かってるんじゃないかなと思いながら合格発表を待っていたんですけど、それを裏付ける証拠が何もない。

⼭﨑

ネガティブな気持ちは残っちゃうからね。

藤巻

当⽇は、ホームページを開いたら「あなたは合格です」というページがいきなり出てきて。平⽇の⾃宅で、家族がいなかったのでひとりで騒いでいました(笑)。

⼭﨑

連絡が来なくて⼼配になったんだけど、こっちから連絡して不合格だったよと⾔わせるのもあれだし。お昼ご飯を⾷べようかなというタイミングで連絡がきて、これは受かったなと感じました。

藤巻

めっちゃ、はしゃいでいました。

⼤内

僕が知ったのは遅くて3時くらい。

藤巻

LINEや電話で⾔いたくなくて。

⼤内

いや、気になるじゃない。既読だけはついたから、「だめだったかー」って。なんてひどいことするんだよって(笑)。

藤巻

既読つけないほうがいいなと思ったんですけど、つい開いてしまって。返信してしまうと、答えを教えてしまうことになるので、あえて何も返さなかったんです。

⼤内

既読がつかなければ落ち込んで寝込んでいるのかなと思うし、ついたら返信できないほどショックを受けているのかと思うし。直接来て合格を報告してくれてホッとしました。すごく嬉しかったなぁ。

これ以上追い込まれることはないと思う

⼤内

藤巻くんも教育学の本を読みはじめているんだよね。

藤巻

⼩学校の先⽣になりたいので、学級会で何をすれば盛り上がるかという本や、クラスで遊びの輪にうまく⼊れない⼦にどう声をかければいいかという声かけ集を読んでいます。

⼭﨑

まだ早いよ(笑)。

⼤内

1年から実習があるからね。⼭﨑くんは理論物理学者になるのが夢ですね。ふたりとも、⼤学で勉強以外にやってみたいことはありますか?

藤巻

僕は野球を続けたいです。横国⼤を志望したのは、野球部がけっこう強いというのもあります。

⼭﨑

僕は、⼀般⼊試で合格した⼈についていけるかが⼼配です。物理と数学しかやっていない⾃分が、5教科きっちりやってきた⼈たちと⼀緒に学ぶことになるので。

⼤内

実は僕もプレッシャーがすごかったんです。先に合格した⼭﨑くんだけ国⽴⼤に⾏って、藤巻くんは志望叶わずとなってはいけないし、ふたりとも志望校に合格してもらわなければならない責任を感じていました。これから先の⼈⽣で試験といえば、就職活動くらいかな。藤巻くんは教員採⽤試験だね。いずれにしても、今回の⼤学受験ほど追い込まれることは多分ないと思います。

⼭﨑

院試がーっ……⼤学院に⾏かないとやりたい研究はできない。

⼤内

(笑)。新しい友だちができれば⼀緒に切磋琢磨しながら⽴ち向かえるとは思いますが、今回みたいにずっと⼀緒にいる⼈はもう近くにはいないから、抱え込まずに発散しながらがんばってほしい。

⼤学に⼊ってからも、何かあったら連絡くれれば対応はします。

藤巻

(笑)

⼭﨑

(笑)

⼤内

他の⽣徒さんからも、すごく仲のいい⼦と競っているという話は聞くので、そういう関係はいい影響があるんじゃないかなと思います。藤巻くんと⼭﨑くんについては、それがさらに強い気がしま す。ふたりとも志望校に合格して、本当によかった。改めておめでとう!

 

(取材・文/くりもときょうこ)