長野市の湯本傑彬さんがまつがくに入ったのは、小学校6年生の時。週1~2回ペースを高校2年まで続け、いよいよ大学受験の年に。志望校は青山学院大学(以下、青学)ただひとつ。しかし高3春の段階では、目標は遥か彼方でした。
私立専願で科目を絞りこみ、背水の陣で臨んだ夏休み。文字通り朝から夜まで勉強し続けたにも関わらず、なかなか結果が出ません。ヒヤヒヤするような私大受験をかいくぐり、最後、いちばん行きたかった学部の合格を手にします。
少々型破りながら思いを貫き通した1年弱の大学受験期を、須坂駅前校の波母山敏先生と振り返りました。
湯本傑彬さんのデータ
●出身校/長野県須坂高等学校 ●将来の夢/東京の企業に就職
小6・夏 |
兄が通っていたまつがくに入塾。中3まで若穂教室 |
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高1 |
須坂高校に入学し、平日は高校に近い須坂駅前教室へ |
高2・冬 |
atama+で英語をコンプリート |
3月 |
春の面談前に東京の大学見学へ。三者面談で本気モードに |
高3・6月 |
「スタディサプリ」を使って英語・国語・社会の演習量を増やす |
7月 |
受験勉強が本格化。夏休みは長野運動公園校に通う。12月までまつがくの「共通テスト対策講座」で英語・国語・社会を過去5年分、繰り返し取り組む |
10月 |
入試直前まで、青山学院大学の受験予定学部の過去問をのべ30年分以上何度も繰り返す。並行して演習問題にも取り組む |
11月 |
模試の結果などからモチベーション低下。いちばん苦しい時期 |
12月 |
成績が上がりはじめる |
1月 |
共通テスト受験 |
2月 |
関東学院大学、山梨学院大学、東洋大学(2学部)、青山学院大学(5学部)を受験 |
3月 |
第1志望の青山学院大学経営学部に合格 |
1. 高3春に覚醒……!
小6からまつがくへ
- 湯本
(10分ほど遅刻してきて)ほんっとすみません!
- 波母山
おいおいおいおい(笑)。今日って伝えてあったよね。
- 湯本
申し訳ないです!
- 波母山
無事到着したので、早速はじめましょうか。僕が湯本くんに初めて会ったのは、湯本くんが高1の時でした。お兄さんが長野運動公園校に通っているのは聞いていて、「同じ名字だ」と思ったら弟ですよと言われて。湯本くんがまつがくに入ったのは、小6の夏だったんですよね。
- 湯本
まつがくには兄が先に通っていて、親の意向で僕も通うことになりました。きっかけは分からないですけど、教育熱心だったんでしょうか。
- 波母山
最初は若穂教室だったんだよね。衛星教室で、当時は公民館のような場所を借りてやっていたはず。開いているのは週3日くらいだったんじゃないかな。
- 湯本
通っていたのは、週1回か2回くらいだったと思います。中学時代は学校の勉強の先取り予習という感じでした。atama+がはじまったのは中2からだったと思います。
- 波母山
中3まで若穂教室で、須坂高校に合格したことで須坂駅前校に変わりました。湯本くんは利発な生徒だったので、atama+の進捗を見ていても、やればできるなという指導者としてのやりごたえは感じていました。高校受験もそんなに苦労しなかったみたいだね。
- 湯本
自分が受験した時の須坂高校は定員割れしていたんで。最低限がんばった感じです。
- 波母山
高校は弓道部をやりながらまつがくに通っていましたね。
- 湯本
自分、小学校と中学校で剣道をやってたんです。特に小学校の頃はめちゃくちゃハードでした。それで、高校は楽な部活入りたくて弓道部にしました。
- 波母山
高校に入ってもまつがくに来るペースは変わらず週1~2回でしたが、高2の冬の段階でatama+の英語は高校範囲をコンプリートしていました。
- 湯本
atama+は中学からのアドバンテージがあったのかもしれないです。最低限コツコツは進めていたんで。ただ、数学は途中で挫折してしまって。今もまだ難易度1で終わってないです。
第1志望は青山学院大学
- 波母山
そして高3の春、お母様がしびれを切らして、ぜひ懇談してくださいと話がありました。
- 湯本
お恥ずかしいことに、高1、高2はしっかりやってなかったので。
- 波母山
それまでの懇談は、お兄さんの分とまとめて鶴吉先生(当時の長野運動公園校校舎長)がやっていたので、ここで正式にバトンタッチされました。ここで本気モードに覚醒、かな。
- 湯本
部活や行事があったんで、本当に真剣にやり始めたのは6月からですね。夏休みからは誰よりもがんばろうと思っていました。
- 波母山
6月からは、「スタディサプリ」でも英語・国語・社会をはじめました。英語はatama+でコンプリートしていたし、やるものが足りなくなっちゃったんだよね。共通テスト対策講座が実装されるのが7月からだったから、それまで演習量を減らさないためのつなぎという側面もありました。
- 湯本
問題数が多いやつでした。
- 波母山
問題の演習量を確保してほしいという意図もありました。解説や講義動画はatama+などで十分見ていたので、演習をどんどんしてほしかったんです。志望校は青山学院大学でした。
- 湯本
3月に先生と面談する前に、東京までいろんな大学を見に行きました。青学はもちろん、法政とか。見比べてみても、青学は立地もいいし、いろんな面で魅力があると感じました。
- 波母山
高2の段階でも青学の名前は出ていたよね。
- 湯本
高2の秋ぐらいに、学校で進路希望調査を出した時かな。
- 波母山
志望校が青学というのは僕も認識していたんですが、今の学力や努力の仕方だと無理ですよ、今から毎日まつがくに来て勉強しないと時間的にも間に合わないですよという話をお母様にしました。湯本くんの場合、青学が第1志望で国公立は考えていなかったよね。
- 湯本
考えてなかったっすね、一切。ただ、青学の入試はちょっと複雑で、共通テストにプラスして独自試験だったから、共通テストは受けないといけなかったんです。
- 波母山
須坂高校は進学校なので、共通テスト受験は学校の意向もあったはず。でも、青学の入試に必要なのは英語・国語・社会だけだったから、数学と理科はやらなかった。
- 湯本
理科は授業も取っていませんでした。数学は授業時間中、ずっと内職していました。
- 波母山
青学を受けるとなってからの湯本くんのやる気と、「先生、俺、数学と理科はやんないっす」という割り切り感はすごかった。こっちが「ほんとにいいの?」と、オロオロするくらい。覚悟を決めてから、のめり込む勢いもすごかったし。今まであんまり接したことがないタイプの生徒です。
2. 諦めたら絶対に落ちるから
好きな筋トレも封印して勉強に没頭
- 波母山
高3になっていざ受験という時に、お母様がいちばん心配していたのが“筋トレ”でした。
- 湯本
今日も行ってきました。
- 波母山
筋トレ、すごく好きだよね。自宅や近場では満足できなくなって、南長野運動公園だっけ? 自転車で往復1時間かけて毎日行っていたよね。お母様から「先生、なんとかやめさせてください!」と言われていました。なんでそんなに筋トレにハマっていたの?
- 湯本
自分磨きが好きなんで。南長野運動公園にはジムがあるんですよ。夏休みは週3以上通っていました。
- 波母山
いつから行かなくなったんだっけ?
- 湯本
5月ぐらいには行かなくなりました。やっぱり遠いので。
- 波母山
筋トレしたいなら家で腕立て伏せでも何でもしなさい、受験の間は我慢しなさいと言ったのを覚えていますよ。夏休みは、まつがくの長野運動公園校で勉強していたんだよね。
- 湯本
須坂駅前校は午前中開いていなかったので、1日中開いている長野運動公園校に毎日、朝から夜までこもっていました。
- 波母山
コンタクトが切れてしまうのはよくないので、MIC(まつがく・インディビジュアル・コーチング)は毎週火曜日、須坂駅前校に来てもらっていました。
- 湯本
複数の教室を使えるのはまつがくのいいところのひとつですよね。
- 波母山
そうですね。気分転換にもなるし、他の教室の生徒の様子は刺激になるしね。しかし、朝から夜まで勉強するのは湯本くんのそれまでにはないライフスタイルじゃないですか。つらくなかった?
- 湯本
その時はまだ、模試も受けていなくてモチベーションが高かったんです。それに、この夏休みはやんなきゃ絶対落ちるとわかっていたので。まつがくの共通テスト対策講座、atama+のAI特訓は3回はやっています。
- 波母山
7月にまつがくで駿台atama+模試を受けました。
- 湯本
学校では高1から模試は受けていたんですが、まつがくで受けたのはそれが初めてでした。この時は結果が良くなくて、偏差値42で衝撃が走りました。
- 波母山
夏休みは本当によくがんばっていたけど、その成果が模試に反映されるタイミングではなかったからね。この時期僕は、言葉は良くないけど、半信半疑でしたよ。湯本くんを信じたいけど、これまでの学力や様子をよく知らない。直接の指導が正味この半年間だけだったから。これだけがんばっていれば受かるだろう気持ちと、いや青学はそんなに甘くないぞという気持ちがありました。ただ、これだけ勉強にのめり込む生徒には会ったことがないのは確かでした。
- 湯本
まつがくに友だちがいても、友だちを振り切ってひとりでいちばんすみっこの席を陣取って。自分のことをやり遂げるまでは最後まで帰らないと思ってやっていました。
こんなにやっているのに……
- 波母山
10月から青学の過去問に着手しました。これは計画通りでした。
- 湯本
毎週、進捗管理してもらっていたのが良かったです。
- 波母山
過去問は、青学で受験するすべての学部のものをかき集めたら、のべ30年分以上になったんだよね。一緒に過去問を漁ったこともあった。結局、何学部受けたんだっけ。
- 湯本
全学部共通試験がひとつと、個別学部が4つの合計5つですね。受験の科目は英語・国語・社会だけだったんですけど、一部の試験では論述や総合問題があって、過去問をやることで傾向が見えて対策できました。
- 波母山
演習問題もやっていたよね。まつがくの参考書や問題集を「これいいよ」と言って貸し出したのを覚えています。でも、湯本くんのこれまでの勉強量からすると合格のためには絶対量がまだ足りないので、自分で購入してやってもらってもいました。
- 湯本
英語の長文は問題集買いました。atama+の長文もけっこう重宝していましたよ。あと、古文は問題集を、政治経済は小問集を買っていました。
- 波母山
自分で買う時はどんなふうに選んでいたの?
- 湯本
YouTubeを参考に自分のレベルに合うやつを買っていました。しかし、こんなにやっていたのに、11月頃まで成績はほとんど伸びなくて。
- 波母山
この時期は、モチベーションがいちばん低下する時期なんですよ。だから僕は「大丈夫だって。みんなこの時期、同じことを毎年繰り返してるんだから。ここからだって上がるから。現役曲線って知ってる?」みたいな感じで、モチベーションを上げるような前向きな話をし続けていました。結果がなかなか出ないのはつらかったよね。
- 湯本
自分のほうが絶対やっているのに、他の学校の友だちの方が伸びていたのは、メンタルに結構きましたね。
- 波母山
それでも投げ出さなかったのはどうしてだと思う?
- 湯本
やっぱり、やらなくなったら絶対に落ちることが分かっていたので。続ければなんとかなるだろうと思ってやっていました。
- 波母山
その時期、湯本くんにも話したけど、大学に合格した生徒の半数は、模試は最後までE判定なんだよね。そういう話をしながら、勉強量だけは下げさせないように注意していました。最後の1か月で追いついてくるのは実はそんなに珍しい話じゃない。
- 湯本
だから共通テスト本番で過去最高得点ということが起きるんですね。
- 波母山
模試はE判定の人数がいちばん多いんです。A・B判定で自信過剰になって落ちるよりは、D・E判定のほうがのびしろがあると言いますか。その点でも湯本くんはすごくがんばってくれましたよ。
3. 最後は気持ちひとつ
ようやく成果が出てきた
- 波母山
12月からようやく成績が伸びてきました。
- 湯本
共通テスト形式の模試で結果が出るようになりました。「やっとか……」という感じでした。
- 波母山
12月は一旦過去問をやめて、共通テスト直前までずっと演習をやっていました。
- 湯本
共通テスト形式の国語・英語・政治経済の問題集を買ってやっていました。学校も共通テスト向けの特編授業で、実戦形式になっていましたね。
- 波母山
あくまでターゲットは2月の青学で、共通テストも使うんですが、言い方は悪いですけれど記念受験的な側面があったと思います。
- 湯本
私立は本当にいろいろで、共通テスト利用で共通テストの割合のほうが高いところもあったし、半々、半々より少ないというところもありました。独自試験だけのところもあって。だから、高いレベルで得点する必要はないけれど、取れないと厳しいという感じです。
- 波母山
共通テストの手ごたえを教えてください。
- 湯本
受験したのは政治経済・国語・英語で、政治経済と英語は過去イチ難しい問題でした。練習では時間を計りながらやっていたんですが、本番は時間が全然足りなくて見直しもできないほどで、手ごたえがない状態。特に政治経済はヤバかったですね。毎回8割取れていたのに、67%しか取れなくて。
- 波母山
とはいえ、共通テスト利用に大きく響くほどではなかった。
- 湯本
国語と英語のリーディングで取れたので。国語は点数が乱高下していて、特に現代文が直前になっても安定しなかったんですよ。本番ではありがたいことに乱高下の“高”のほうがきたので、運ゲーで勝てたって感じですね。
- 波母山
古文と漢文はしっかり対策していたもんね。
- 湯本
古文漢文は、最初は苦手だったんですけど、先生に聞いたり、兄貴から「古文は単語だけやれば絶対行ける」とアドバイスされたりして。実際、本番の古文は満点でした。
四者懇談で修羅場に……!?
- 波母山
共通テストが終わってようやく私立一本になりました。
- 湯本
本来、ここから私立専願は気合いを入れなきゃいけないはずなのに、自分はちょっとベースダウンしちゃって。
- 波母山
燃え尽き症候群っぽくなっていたかな。まあ、共通テストの反動くらいの感じでしたよ。そこまで著しく勉強量が落ちたわけじゃなかったので、心配するほどではないなと思って見ていました。私大はいくつか受けたけど、対策は青学に絞っていましたね。
- 湯本
そうですね。青学以外では東洋大の過去問を1~2年分やっただけですね。
- 波母山
そして私立併願をどこにするか、ご両親と四者懇談しました。そこでいろいろ修羅場が……。
- 湯本
(笑)
- 波母山
「ステップアップ方式」といって、本命より前に容易な大学を受験しておくと、本命だけ受験するより合格率が2倍になる法則があるんです。それで、関東学院大学と山梨学院大学を記念受験でいいから受けてくれと言ったら、「俺、そんなとこ行かねぇ‼」と湯本くんが言い出して。「いや、行く行かないじゃなくて、大学生になったという確証を得た上で本命に臨んでほしいんだ」という話をして、何とか納得してもらいました。
- 湯本
この2校は長野で受験できたから、負担も少なかったです。
- 波母山
2校ともきっちり合格して。ただ、どうしても青学は難しいので、さらにワンクッション挟もうという話をしました。レベル的には“日東駒専”(にっとうこません/日本大学・東洋大学・駒澤大学・専修大学)あたりだねと四者懇談で話したら、また「納得いかない!」「先生は俺の事信じてないんすか?」と言い出して。
- 湯本
結局、東洋大で2つ受けて、ひとつは落ちてひとつは繰り上げ合格でした。東洋大も長野で受験できたので助かりました。
- 波母山
四者懇談では受験料などお金のことも話し合って、親御さんから了解もいただきました。ご両親は息子さんの態度に「すいません」と恐縮されていて、「いやそんなことないですよ、いい青年ですよ」とフォローする一幕もありました(笑)。
- 湯本
(笑)
- 波母山
結局、東京には何泊したんだっけ?
- 湯本
青学の全学部日程試験だけが試験日が離れていて、そのために前泊込みで2泊しました。残り4つの個別学部日程は試験日は固まっていたので、前泊込みで5泊6日しました。青学を受けるために東京に行った感じですね。ホテルは7~8月に押さえていました。
- 波母山
受験疲れしそうなスケジュールだね。
- 湯本
いや、むしろ受験がない時のほうがだらけてしまって。
- 波母山
関東学院と山梨学院に受かって、東洋は僕が聞いた時点では不合格だったんですよね。東洋を押さえられなかったのは想定外で、これはシビアな戦いになるぞと思いました。青学の全学部日程も不合格で。
いちばん行きたかったところへ
- 波母山
結局、個別学部日程で5つ受けた青学も合格は……。
- 湯本
1つだけです。経営学部。
- 波母山
最初から行きたいと言っていた学部だけだよね。ミラクルで、本当にびっくりしました。
- 湯本
青学に行ければどこでもいいとは思っていたんですが、11月くらいまではずっと、経営学部に行きたいと言っていたんで。
- 波母山
相当厳しい戦いだけど、湯本くんは「青学しか行きたくない」と言っているから、浪人覚悟かという思いもありました。合格発表の日は泣きながら……。
- 湯本
泣いてはいないです。
- 波母山
「今日中にどうしても先生を捕まえたいんです」という連絡が長野運動公園校に入ったんですよ。たまたま僕の娘も今年高校受験で長野運動公園校に通わせていたので送って行ったら、スタッフから「湯本くんから連絡来てますよ」と教えてもらって。もうドキドキしながら折り返したんですね。そうしたら「合格通知見て、外に飛び出して叫んでいます」って(笑)。
- 湯本
(笑)
- 波母山
お母様が「警察呼ばれるから、早くうちに入りなさい」って言ってたんだよね。
- 湯本
家族も喜んでいました。東洋大に落ちて家族はもうダメだムードだったんで。
- 波母山
湯本くんはいい意味で頑固なところがあって信念は揺らがないから、自分がここと決めたところしか受かる気がないのかなと想像していました。安全策としての東洋大みたいな話はこちらの思いでしかなくて、湯本くんの中では情熱がなかったのかなと。
- 湯本
そうですね。東洋大に落ちた時は、でも青学をがんばったからいっかという感じで、そんなに気にしていなかったですね。ただ、親には申し訳なかったっす。
- 波母山
最後まで諦めないのは、やっぱり大事ですねぇ。
- 湯本
本当にそうですね。合格した後、友だちからも「お前がんばってたもんな」と言われました。周りも結構見てくれていて、支えてくれたんだなと思いました。
- 波母山
僕も今回、本当に勉強になりました。やっぱり人間、最後は気持ちひとつだなと。「ここに行きたい」という思いが岩をも貫いて、合格の栄冠を勝ち取れたのかなと。本当に自分がいちばん行きたいところしか受からないというのは、これまでなかったパターンなので。湯本くん、大学受験を経て後輩たちにアドバイスできることがあればぜひお願いします。
- 湯本
諦めずに人よりも努力すればきっと受かる、と言いたいです。
- 波母山
湯本くんの、やるとなったらとことんやるし、やらないことは一切やらないメリハリ感と、一度決めたことがブレないところは、いい意味で独特でした。やっぱり意志の強さは受験には必要だなと。爽やかな好青年もいよいよ東京デビューですので(笑)、 またいろんな所で大活躍してくれることを期待しています。
(取材・文/くりもときょうこ)