卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

中2の時にまつがく吉田校に入った泉田祐弥さんは、新潟県立巻高等学校への入学を機に一旦退塾します。約1年後の高1冬に再入塾し、名門バレー部の練習と勉強を両立。同じ時期にはじめた、友人との図書館自習も共通テストまで続けました。
その努力は定期テストの成績維持につながり、新潟大学の学校型推薦選抜へと道を開きます。

中学時代から伴走してきた校舎長・若月渉先生と、泉田さんの学習履歴と大学合格への道のりをたどります。

泉田祐弥さんのデータ

●出身校/新潟県立巻高等学校 ●将来の夢/大学で資格をとって故郷・新潟に貢献する

中2・4月

友人に誘われてまつがく吉田校に入塾

9月

定期テストの数学が100点

1月

定期テストは450点前後で安定する。志望校を巻高校に決める

中3・8月

部活が終わって高校受験に向けて対策スタート

12月

模試でも安定して高評価を出し、志望校を巻高校に確定

3月

巻高校に合格し、まつがく吉田校を一旦退塾する

高1・2月

まつがく吉田校に再入塾。高1冬から土日は友人と図書館に通って勉強するように

高2・4月

勉強と部活の両立をしっかりこなす

12月

志望校がなかなか決まらない

高3・7月

志望校を新潟大学経済科学部に決め、学校型推薦選抜に向けて動き出す

10月

学校型推薦選抜のための対策と、共通テスト対策を並行して進める

11月

新潟大学経済科学部総合経済学科を学校型推薦選抜で受験

12月

合格。共通テストまで友人と一緒に勉強を続ける

1. 課題は勉強習慣

本来とれる点数がとれるように

若月

祐弥くんがまつがくに入ったのは中学2年生の時でした。

泉田

当時のことはあんまり覚えていないんですが……。おそらく、英語に不安があって入塾したんだと思います。先に入っていた友だちから「まつがくいいよ」と聞いたのがきっかけです、

若月

祐弥くんが入塾した時はatama+導入前で、先生ひとりに生徒3人で進める個別指導でした。

泉田

教科は英語と数学だったと思います。

若月

5か月後の定期テストで、数学で満点をとりましたね。

泉田

あまり覚えてないです。

若月

中学時代の祐弥くんは、勉強習慣に課題がありました。テスト前にワークをがんばるけど、早めの予習が得意ではなかった。まつがくに来るようになって、そこができるようになってきた結果かなと思います。ちゃんとやったらとれるのはわかっていたので、劇的な成績アップというよりは、泉田くんが本来とれる当たり前の点数がとれたねという感じですね。

泉田

勉強習慣がついたというのは、自分もそう思います。

若月

勉強のやり方がわからないというよりは、勉強が続かないってことだったよね。部活動もがんばっていたし、他に楽しいこともあっただろうし、すごく中学生らしい悩みだなと思いながら見ていました。中2の冬には定期テストが450点前後で安定してとれるようになってきました。平均が90点ぐらいですから、学力は高いレベルで安定してきましたよね。

泉田

……。

若月

過去の記録にそう書いてあるから、嘘は言っていないよ(笑)。

泉田

なんとなくしか覚えていないですね(笑)。

バレーに打ち込みたくて巻高校へ

若月

高校の志望校は巻高校です。やはりバレーを続けたいという思いが大きかったですか。

泉田

そうですね、それがいちばん大きかったです。

若月

学力的にもっと上の高校も狙おうと思えば狙えたんですけど、僕自身も巻高出身で巻高バレー部の強さを知っていたので、異論はありませんでした。

泉田

部活の関係で、高校受験の勉強を本格的にはじめたのがちょっと遅かったんですよね。

若月

8月頃ですね。とはいえ、模試もちゃんと受けて結果も出ていたので、苦手なところを克服しつつ計画通りに準備していけば合格は余裕だと思っていました。心配があったとしたら、勉強が計画的に継続できるかどうかでした。僕の印象だと、祐弥くんは基本的にめんどくさがりなんです。簡単に答えられるところや楽にできるところは問題ないんだけど、めんどくさいところで足が止まる。

泉田

(苦笑)

若月

祐弥くんは本当に真面目だし、言われたことを理解してくれる。「ここまずいね」と言うと、「そうですよね、わかります」とちゃんと受け止めてくれるんだけど、行動するまでがすごく重たくなる。「苦手なんでできないですよ!」みたいに反抗してくれればさらにアドバイスや話ができるんだけど、「そうですよね」で毎回終わる。

泉田

「そうですよね」で終わると、あとは僕の自主性に任せるしかないですよね。

若月

だから課題をどう修正していくか、計画を立ててもらっていました。「英語の長文どうする?」、「長文は読むしかないですよね」、「そうだよな。じゃあ、塾に来たら長文を1日ひとつは読むか」という感じで、祐弥くん自身にどうしたらいいかを考えて言葉にしてもらって、それが実現できているかを確認するのが僕の役割。祐弥くんは、やらなきゃいけないこと、やるべきことはわかっているので。

慢心せずにがんばれ

若月

高校には危なげなく合格して、一度まつがくを退塾しました。入れ替わりでお姉さんが入塾して、学校型推薦選抜で新潟大学経済科学部に合格しました。お姉さんが合格して退塾したのを機に祐弥くんがカムバックします。

泉田

友だちが大学受験を意識しだしたのが大きかったですね。自分は高校の定期テストはとれていたんですけど、大学受験に向けての勉強をどうするかとなると、自分ひとりでやるのは得意ではなかったので。やっぱりまつがくに任せようかなと。

若月

大学受験が近くなったらきっと帰ってくるだろうと思っていたので、「おかえり」の気持ちでした。まつがくをやめていた間も、勉強をすごくがんばってくれているのは、お姉さんやお友だちを通じて聞いていたんです。それでもやっぱり大学受験って怖くて何が起こるかわからない。最後まで安心感を持ってあたるために帰ってきてくれたのは、すごく嬉しかったです。高校では成績は何番くらいだったんですか?

泉田

学年で10番前後です。

若月

祐弥くんの学年は定員割れしている学年でした。だから高校の先生から「君たちの学年は全入だから慢心せずに気をつけろ」と言われていたんだよね。

泉田

そうですね。高1からずっと言われていました。入学時に競争がなかったから、巻高校に入ったしそれなりの大学に行けるかなという甘い考えは持たないほうがいいということですね。

2. 友だちとまつがくが支えた高校時代

高1冬から続けた図書館での自習

若月

まつがくに戻ってきたのと同じような時期に、友だちと土日に図書館に通って勉強するようになったんだよね。これはさっき言っていた、友だちが大学受験を意識しはじめたというのと関係ありますか?

泉田

あります。中学から一緒の部活仲間です。

若月

祐弥くん経由でまつがくに入った生徒さんだね。高校のバレー部はハードだったのに、すごいね。

泉田

部活は月曜が一応休みで、それ以外は放課後から夕方6時ぐらいまでありました。休日は朝8時半から夕方5時までです。

若月

じゃあ土日の図書館通いは部活の後に行く感じだよね。体力も気力も何も残ってないんじゃないかという気がするんだけど。

泉田

なんでやれていたか、自分でもわからないです。たぶん、自分ひとりだったらやれてなかったかな。

若月

土日の図書館勉強は、何時間くらいやっていたんですか。

泉田

部活が終わって直接行くこともあれば、一度家に帰ってから行くこともありました。だいたい3時間ぐらいは勉強していました。

若月

図書館通いは共通テストが終わるまでやっていたよね。その上、まつがくには平日ほぼ毎日来ていて。すごかったよ。本当にすごかった。

泉田

夜の8時から9時半とか、7時半から9時半とか。

若月

どこからこの体力が湧き出ているのか、正直心配していました。こんなに勉強を継続できるとは思っていなかったんです。中学の時は、それこそ直前だけ乗り切ろうという感じだったからね。休めているかどうか心配していました。息抜きはしていたの?

泉田

特にこれといってしていなかったですね。

若月

息抜きしなくても平気だった。

泉田

なんとか。

若月

なんとかだよね。なんとかしていたと思う。

泉田

それでもできていたのは、やっぱりその友だちがやっていたからですかね。友だちがそれだけやってて自分はしていなかったら、負けた感じがしちゃって。

若月

祐弥くんにつられて、勉強する人は増えたよね。

自習がatama+の妨げに!?

若月

祐弥くんがカムバックした時はatama+が導入されていました。

泉田

英語と数学をatama+でやっていました。

若月

この時もね、大変だったんだよ。高1の時点で自習していたくらいなので、自分のやりたい勉強、やるべき勉強をやれている状況でカムバックして、atama+が始まった時に「先生、俺はこれよりもそっちを勉強したいです」という気持ちが強かったんだよね。祐弥くんがそこまで言うならと、高2の2月までにatama+を終わらせようという長めのスパンで約束しました。

泉田

(笑)

若月

自習できているからこそ、その時々で当然違う自分の中の課題感を把握している。それはいいことなんだけど、atama+に虚心坦懐に向かうことが難しくなっていたというのかな。

泉田

でも、受験には必要なんですよね。

若月

そう。基本ができてないと実践問題には行けないからね。やるべきことをやって、プラスアルファとして自分がやりたいことをやるのがいちばん正しい。とはいえ、atama+もすごい速さでクリアしていたけどね。図書館ではどんな風に勉強していたの?

泉田

参考書を使っていました。参考書はYouTubeで探したり、人からのおすすめで選んだりしていました。自分に足りなそうなところをやっていた感じです。

若月

まつがくでもちょこちょこ、「先生これ借りるね」と本棚から借りていっていたよね。

志望校が決まらない

若月

志望大学は高2の12月の段階では決まっていませんでした。複数の候補の中で迷うんじゃなくて、そもそもどこに行こうかというところで迷っていた。

泉田

学部も、県内か県外かも決まっていませんでした。

若月

「そこもいいですね、こっちもいいですね」という状態だったよね。将来の夢がふわふわした状態だったから、なかなか決められない。模試の点数も決して低くなかったので、やっぱりいいところを目指せるなら目指してほしいと思って、祐弥くんが興味を持ってくれそうなところを紹介して。話は聞いてくれるんだけど、なかなかジャストミートしない。「これ“が”いい」とならない感じだったかな。

泉田

そうですね。

若月

ようやく決まったのが、高3の7月。

泉田

いろいろと調べていくうちに、地元・新潟に貢献したいと思うようになってきました。

若月

そこが根っこだったよね。

泉田

だったら、県内の大学に進んでもっと地元を知ろう。だとしたらいちばん理想的な進学先は新潟大という流れでした。

若月

地元に貢献したいという気持ちはどこから出てきたのかな。

泉田

いちばんは住みやすいから。みんな大体いい人だし。

若月

自分がいる場所はなかなか客観的に見られないし、足りないものに目が行ってしまうものだけど、祐弥くんがそうならなかったのはなぜだろう。

泉田

部活の遠征でよく県外に行っていたので、それで地元の良さに気づいたのかもしれないです。

若月

毎週のように遠征していたよね。

泉田

長野とか群馬とか。遠くは宮城や愛知とか。

若月

進路については、ご両親からは何か話はあったんですか?

泉田

ふたりとも介護の仕事をしているんですけど、ここに行ってほしいというようなことは特にありませんでした。

若月

新潟大の経済科学部はお姉さんも行っていて、お姉さんから聞いた話も多分に影響はある?

泉田

ありますね。もともと高1の時に、理学療法の道に進もうかなとふわっと思っていたんですよ。でもよくよく考えてみると、血を見るかもしれない仕事は怖いなと思って。数学は得意ですけど工学や医学には興味がなくて文系でどこに行くかと考えたら、経済学なら数学も多少使うし、身についたことが無駄にならないと思いました。

若月

志望校がなかなか決まらなかったけど、あんまり心配はしていなかったんだよね。志望校が決定してないから勉強しないということもないし、主要3科目は特にがんばっていたので。点数が伸びないということもなかったしね。

ひとつ個人的に苦労したなと思っているのは、意識して勉強してもらうことかな。祐弥くんの性質上、復習するとしても全部フラットにまっすぐ復習してくれる。逆に言うと、「自分はここが苦手だ」という意識を持たずに復習してしまう。勉強の狙いやメリハリというのかな。

3. 学校型推薦選抜で合格

定期テストの“貯金”を生かす

若月

学校型推薦の話は7月ぐらいからかな。

泉田

部活を予定より早く5月末で引退したので、それくらいのタイミングですね。

若月

学校型推薦は先生から話があったんだよね。

泉田

「推薦もいけるよ」と言われました。特に目標もなく定期テストはいい成績をとり続けていたので、それを使えるなら使っておきたいなと。

若月

いつの間にか貯金ができていた感じですね。

泉田

学校型推薦は、志望理由書と総合問題の試験が必要でした。

若月

志望理由書は大変だった……。まつがくも学校の先生も総動員で添削していたよね。人によって言うことが違うこともあったんじゃない?

泉田

たしかに言っていることが違うところはいくつかありました。そういう時は、自分が良さげだなと思うほうを選んでいました。

若月

志望理由書はどれくらいかけて仕上げたんだっけ。

泉田

1か月半から2か月くらいですかね。

若月

「なんでこの学校なの?」「なんでこの学部なの?」という理由の部分が、祐弥くんの場合は消去法で選んでいるので、どうしても弱い。あとは、志望理由書のような書類を書くのが初めてだったのもあるよね、最初は。そこは典型的な理系で、文章を書くのが苦手だった。掘り下げには時間がかかったけど、最終的にはすごく良くなって。

泉田

はい。総合問題は基本的に過去問をやっていました。出題された文章を要約する形式で、要約は得意ではなかったので、学校で配られたテキストなどで対策していました。

若月

総合問題も、ちょくちょく添削していたよね。僕だけじゃなくて、もうひとりの先生にもやってもらっていたかな。お姉さんにも添削してもらっていた?

泉田

見せたことはありますけど、そんなに深い返しはなかったです。

若月

(笑)

泉田

学校型推薦は不合格になることもあるので、並行して共通テスト対策もやっていました。

若月

2週間ワンクールのAI特訓でやっていたよね。でも、これもなかなか……。好きな教科ばっかりやっていたよね。会うたびに毎回溜まっているので、終わってないよと言っていました。

泉田

推薦が受かって本当に良かったです。

若月

学校推薦が不合格になったら、きっと目の色変えて本気でやってくれると思っていましたよ。

試験終了直前に間違いに気づく

若月

学校型推薦の試験日は11月半ばでしたが、どうでしたか?

泉田

めっちゃ緊張するタイプなので、手ごたえ的には正直いいとは言えなかったです。解答は埋めるには埋めたんですけど、終わる2、3分前に間違いに気づいて、でも直すには時間がない。

若月

そのまま出すしかない状況か……。それは合格発表まで結構苦しいね。

泉田

終わった直後は切り替えて勉強できていた気がします。発表が近づくにつれて、合否が気になって集中できなくなっていました。

若月

合格発表は12月の上旬でした。

泉田

自宅で自分の部屋で見ました。合格がわかって、ほっとしました。

若月

そして、共通テストまでは友だちと一緒に勉強を続けて。

泉田

共通テストは受けましたが、いい点数はとれていないです。

若月

許せません、許せませんねぇ。英語がとれなかったのが、僕としてはいちばん悔しかったなぁ。

泉田

(笑)。大学に入ったら、英検やTOEICを受けようかなと思っています。

若月

ぜひ受けてくださいね。

難しいことを当たり前に努力できる

若月

共通テストが終わってからは、自分の時間が増えたよね。

泉田

あんまり生活は変わっていない感覚です。

若月

ゲームを思う存分やり込んだりしなかった?

泉田

多少はやりますけど、やり込むほどはやらないですね。中学の同級生が私大の受験をするので、勉強を教えに行ったりしていました。

若月

祐弥くんは本当に友だちに恵まれているよね。

泉田

そうですね。

若月

大学はどうですか?

泉田

緊張しますね。新しい環境なので。

若月

サークルや部活は。

泉田

中高でバレーをやっていたので、バレーサークルに入ろうと思っています。

若月

大学で資格を取りたいということですが。

泉田

簿記などを考えています。

若月

高校の同級生で新潟大学に行った人は?

泉田

中学が同じだった人が何人かと、学部は違うんですけどバレー部からも何人か入学しています。

若月

それは心強いですね。祐弥くんは中学も高校も定期テストの点を高いレベルで維持していて、正直それがいちばん大変なんですよ。特に部活しながらだとすごく大変です。難しいことを当たり前のように努力できるのはすごいと思って見ていました。それに祐弥くんは頼られる人だから、大学でもきっと、いろんな人に頼られるでしょう。だからこそ、自分のことも大切にしてくれるといいなと思っています。たまに遊びに来てね。

泉田

はい。

若月

大学の話をぜひ聞かせてください。

 

(取材・文/くりもときょうこ)