こんにちは、稲田&広徳教室長の會津(あいづ)です!久しぶりのブログです。
突然ですが、皆さん歴史の授業は好きですか?
私は好きです。各時代によっていろいろな出来事があり、面白いからです(о´∀`о)
時代区分を全ていえますか?
旧石器→縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→室町→安土桃山→江戸→明治→大正→昭和→平成…と続いていきます(※戦国時代は室町時代に入れています)。
※旧石器を抜いて、アルプス一万尺のリズムで覚えると覚えやすいそうです。
〖縄文(アルプス)弥生(一万尺)古墳(こやりの)飛鳥(うえで)奈良(アルペン)平安(踊りを)鎌倉(さぁ)室町(踊りましょ)安土桃山(ララララララララ)江戸(ララララ)明治(ラララ)大正(ララララ)昭和(ララララ)平成(ララララ)〗
この各時代1つ1つにドラマがあるのです。
そこで皆さんにもこのドラマを楽しんでもらいたいと考え、1回のブログごとに各時代を取り上げ紹介していろいろな時代に恋焦がれて♥もらおうと思います。
今回は【旧石器時代】です。
【旧石器時代】
日本にはいろいろな時代がありますが、私が特に好きな時代は旧石器時代です。
なぜ旧石器時代が好きかというと、一言で表すと「ワクワク」するからです。
想像してみてください。氷河期という時期がこの時代にあり、今の日本列島とユーラシア大陸が陸続きだったのです(神様が杖をかざすと海が真っ二つになる感じを思い出してください。陸地が出現しますよね)。信じられますか。すごくないですか!陸続きだったということは当然この道を歩いてきた動物たちがいたのです。
代表してその名を「マンモス」、「ナウマンゾウ」、「オオツノジカ」といいます。
わざわざユーラシア大陸からよくぞ歩きで日本列島にいらっしゃいました。お疲れ様です…と声をかけたくなるのは私だけでしょうか。
長野県の野尻湖ではそのナウマンゾウの化石が発見されています。野尻湖周辺を通って新潟県の上越に行くと日本海が見えますが、自動車で通るときは、この海(まだ陸地だった頃)を彼らは通ってきたんだなと感慨深く感じます。
ところで、マンモスやナウマンゾウっておいしそうだと思いませんか?大きいし。
諸説ありますが、そんなおいしそうなマンモスを追うために人類も日本列島にやってきました。
「おなかすいたな。マンモスでも食べようか!」…日本の旧石器時代の人類はこう思ったかは分かりませんが、打製石器というものを使ってマンモスやナウマンゾウを狩っていました。どんな味なんでしょうかね。
この打製石器は日本では岩宿遺跡で発見されました。それが1946年のこと。
相沢忠洋さんが発見しました。それまでは日本に旧石器時代はなかったのでは?という定説があったようなので、彼が発見していなければ、もしかしたら日本に旧石器時代があったかどうかは2018年現在でも分からなかったかもしれませんね。
さて、マンモスやナウマンゾウフィーバーにわいた氷河期ですが、残念なことに約一万年前に終わってしまいました。現在のような海が出来上がり、マンモスやナウマンゾウが日本列島に来れなくなったのです。
せっかく食料であるマンモス、ナウマンゾウを追ってきた当時の人達はショックだったでしょう。えっ…もう食料来ないじゃんか…という感じだったのでしょうか。
安心してください。キツネやイノシシがいました。でも、彼らは動きが素早いので打製石器をもって追いかけるだけではなかなか捕まえられません。
そこで、弓矢を使う狩りが代表的なものになりました。…ここから先は次回の【縄文時代】です。
今から何万年以上も前のとっても昔の出来事の旧石器時代。当然、私たちが直接は体験していない時代ですし、あの伊藤博文も徳川家康も足利義満も源頼朝も桓武天皇も聖武天皇も聖徳太子もワカタケル大王も卑弥呼も奴国の王も旧石器時代を直接は知らない。
そんな時代にマンモスやナウマンゾウがはるばる歩いて日本列島にやってきた。それを狩って生活していた人達がいた。氷河期でユーラシア大陸と日本列島が陸地でつながっていたという事実。
本当にワクワクします(`・ω・´)b
そんな旧石器時代、あなたは恋焦がれましたか?
☆ざっくりまとめ☆
氷河期でユーラシア大陸と日本列島がつながっていた
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そのつながっていた道をマンモス、ナウマンゾウ、オオツノジカ達が歩いてやってきた。ウェルカムトゥ日本列島。彼らを食料にするため人類も日本列島へ。
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打製石器で狩りをした。
↓
残念。氷河期終了。
★旧石器時代で覚えておくべき用語★
・打製石器
・ナウマンゾウ
・マンモス
・オオツノジカ
・岩宿遺跡
しっかり覚えられたかな?
勉強はやったもの勝ちですよ~まつがくにLet’s go!!