こんにちは、稲田&広徳教室長の會津(あいづ)です!
前回の旧石器時代の続きで(まだ読んでいなければそちらも読んでおこう)今回は【縄文時代】です。
その前に…時代区分すべて覚えましたか?(Ü)
確認してみましょう!
旧石器→縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→室町→安土桃山→江戸→明治→大正→昭和→平成…と続いていきます(※戦国時代は室町時代に入れています)。
※旧石器を抜いて、アルプス一万尺のリズムで覚えると覚えやすいそうです。
〖縄文(アルプス)弥生(一万尺)古墳(こやりの)飛鳥(うえで)奈良(アルペン)平安(踊りを)鎌倉(さぁ)室町(踊りましょ)安土桃山(ララララララララ)江戸(ララララ)明治(ラララ)大正(ララララ)昭和(ララララ)平成(ララララ)〗
【縄文時代】
この時代の特徴は、やはり縄目のついた縄文土器でしょう。この土器に食料を入れて煮炊きする生活を当時の人は行っていました。もちろん狩りも重要なものでした。
彼らが生活していた場所はたて穴住居です。この住居を拠点とした生活をしていました。
この生活の跡は、青森県で発見された三内丸山遺跡に残っています。たて穴住居を作ったということは、あちこちに移動することなく一定の場所に定住していたと考えられます。
うまい例えかどうかはわかりませんが……
サラリーマンが念願の一戸建てのマイホームを建てておきながら「よし、後は任せた!俺は旅に出る、新天地で暮らすんだ!!」
…なんてことあまりないですよね。
住む場所が一定だったということは現代の私たちと同じですね。
諸説ありますが、自然への敬いや畏れ、安産祈願や豊かな食べ物を狩ることができるように……という祈りを込めて、土偶が作られたとされています(埴輪じゃないよ、それは古墳時代だから気をつけよう)。
食べ物の残りカスは食べた後に決まった場所に捨てていて、その跡が貝塚と呼ばれています。
アメリカの動物学者のモースという人が初めて大森貝塚を発見しました。覚えておこう。
それから、旧石器時代からこの縄文時代にかけては、まだ身分の差はありません。身分の差が出てきたのは米が伝わった弥生時代からだといわれています。
…ここから先は次回の【弥生時代】でお話ししましょう。お楽しみに(о´∀`о)
★縄文時代で覚えて置くべき用語★
・縄文土器
・たて穴住居
・三内丸山遺跡
・大森貝塚
・土偶
◎旧石器時代と縄文時代と弥生時代の比較◎ 次回の【弥生時代】の予習をしておこう
旧石器時代 | 縄文時代 | 弥生時代 | |
身分の差 | なし | なし | あり |
土器 | なし | 縄文土器 | 弥生土器 |
代表建物 | なし | たて穴住居 | 高床倉庫 |
代表遺跡 | 岩宿遺跡(群馬) | 三内丸山遺跡(青森) | 吉野ヶ里遺跡(佐賀) |
※たて穴住居は住居、高床倉庫は米をしまう倉庫です |
しっかり覚えられたかな?
勉強はやったもの勝ちですよ~まつがくにLet’s go!!